Miércoles, 21 de Marzo de 2012
沖縄、大阪、宮崎歩き記 (1)
Escrito por つづく   

エセイサ空港を昨年10月9日に出発、第5回世界のウチナーンチュ大会に参加し、大阪へ寄り、宮崎まで足を伸ばしてアルゼンチンに帰ったのは10月29日だった。
以後、新聞作りの仕事に追われ通しでまとめるヒマがなく、新年特集号を出して一応肩の荷が下りたところで、行事、旅行中のいくつかの訪問先、エピソードに触れてみたい(ニュースとして発表された行事ははぶく)。

沖縄タイムス社
この日は、沖縄タイムス社の海外通信員でこの大会に参加した人の顔合わせ会。 
タイムス社前の駐車場周辺にパーロボラッチョの列。成長してからの花並木が楽しみだ。すれ違う小型車の数が多い。若い女性や主婦たちの足になっているようだ。
社内見学のあと、謝花直美海外通信部々長の説明によると、海外通信員が18人、県内通信員は島々まで入れて40人もいるとか。
海外から集まった通信員は、アメリカ(ワシントン、ニューヨーク、アトランタ)、フランス、カナダ、ハワイ、香港、アルゼンチンなど。女性が多い。
アメリカ通信員によると「ワシントンは首都で政治の中心に見られがちだが、いろんな移住者たちのいる社会」「一世がポストに頑張りすぎる」「2012年は(日米交流のシンボル)ワシントン桜の100周年。2週間お祭りが続く」
フランスの場合、移住した人はいないが、「フランスと沖縄文化とのつながりに関心があり、沖縄の知名度が上がっている」。そのほか、沖縄の学校の社会科で、海外沖縄を捉えて欲しい」という要望もあった。
米国フロリダ州まで取材範囲を持つ通信員によると、「北米の沖縄人は軍人嫁が少なくない。南米と同じように、沖縄アイデンティティーは根強い。スペイン語は覚え易く、発音し易いので、それを共通言語にしてオキナワ・ネットの軸にしたら」という発言も出た。
タイムス社の社長、編集局長、論説委員長、次長クラスの人達の挨拶もあった。「来年は(県庁近くに建設中の)新社屋に移転予定。12階のサロンでワイン飲みながら話し合いたい」と、豊平良孝社長。皆、カリユシウェア(夏を快適に過ごす、沖縄のアロハシャツ)着用し、それぞれ個性的な図柄の選び方。この夏型のシャツは都市部と地方で普及度に差があるが、今では葬式の場に着用して行っても失礼にならないとのこと。

海外功労者表彰
海外功労者表彰が県庁で行なわれる。
今回のウチナーンチュ大会には、世界で80ある県人会のうち60が参加したとのこと。
アルゼンチン関係では、社会的貢献度で平良フアン・カルロスさん、新民間大使で屋宜宣順さんに認証書、将来の日系社会世代代表として瀬底ギジェルモさんに表彰状が与えられた。

留学生・研修生 写真
沖縄アルゼンチン友好協会の歓迎交流会には、アルゼンチンからも地元からもたくさんの参加者。比嘉ロベルト・アリシア夫妻もその中の一組で、琉球新報の第一面トップを飾ったアルゼンチン組の大きな写真、しかも前列の目立つところにいたので大喜び。
アリシアさんによると、「沖縄は清潔で上手く組織され、すべてきれい。歓迎された。祖父母,仲石松・マツさんらはブラジル第2航海で、のちアルゼンチンに転住した。マツさんは1920年頃ボカのメルカードで、メルセリーア(小間物・雑貨店)を経営した初期移民先駆者。祖父母の故郷を訪ねたが、30家族ほどの小さな部落だった」
そのほか歓迎交流会では、県立芸術大學から村費研修生まで、9名が紹介された。