Martes, 13 de Marzo de 2012
老人の伯国旅行 
Escrito por        金城郁夫   

小生、一九五六年以来、亜国より伯国に移住し、カンピナス市郊外の軍所属の「ファゼンダ シャパドン」に借地で、トマテ栽培をして居る伯父の支援でトマテ栽培をして居り、そして同時に呼び寄せた小生弟夫婦子ども三名家族と共同でトマテ、ナスビ栽培をして居りましたが、三年後、同郷出身の伯国生まれの女性と結婚(現在の妻)、長男出生と同時にサント・アンドレス市在住の義兄のアルマセンに三ヶ年就業、六三年に亜国に再転住しました。

再移住後三八年ぶりに、第一回目の訪伯は最愛の弟のお墓参りと云う淋しい旅行となりましたが、今回は小生夫婦寄る年波を考慮して、昔お世話になった叔父叔母、小生の弟、そして妻の両親と三兄妹の墓参の目的で二ヶ月の旅行を行いました。
冒頭から小生自身の体験談を貴重な貴社を利用したようで、内心心苦しく思いましたが、二ヶ月滞在中は幸いにも小生の多くの従兄妹たち、妻の従兄妹たちが此の老人二人を良くもてなしてくれましたので、最高の旅行気分を味わうことが出来ました。
是から小生が見聞きした伯国観は、何処までも数多くの従兄妹たちとの対談に対しての質問、そして回答であり、其の範囲上必ずしも正解とは断言いたしかねますので、皆様御理解いただければ有難いと思います。

先ず驚きましたのは、小生たちが三ヶ年住んでいた、サント・アンドレス市の市街から近い山の谷間で四,五家族の同郷の戦前移民の方々が、細々と野菜つくりをして居りましたが、何時の間にか其の谷間が埋められ、雨後の筍(たけのこ)の如く林立した二〇階の高層建築群の威容は、シエンシア・フィクション的というか、「国敗れて山河あり」ではなく、伯国の場合は「国栄ゆれば山容も亦変る」、其の巨大な建築群の基盤工事だけでも、膨大な資金なくして到底不可能と思いました。 
そこで、友人たちに此の様な高層建築群建設に、政府からの援助があるのかと問うたところ、「ノー」との返事でした。それが重要なポイントと小生は受け取りました。小生が伯国を離れた一九六〇年頃から、すでに伯国は対外資本の導入、外国企業群への積極的な誘致、そのたくみな外交戦術をフルに展開、サンパウロ市を起点にサントアンドレ市、サンベルナルド市、サンカエタノ市、(註 この3都市をグランデA・B・Cと呼ぶ)の四市が、サントス市に通じるアンシェッタ国道沿いにおそらく三十㌔に及ぶ工場群、世界中の名門の自動車工場群、あらゆる先端技術の工場群がしのぎをけずり、其の技術・販売・競争の戦いが富を呼び一般市民のふところも豊かになり、其の結果前述の高層建築の住宅・オフィスも割安の月賦払いが功を奏し、政府の援助がなくても実現しているとの返事でした。
其れに引きかえ、外交戦術が下手で、各党派による利害闘争数々の汚職に明け暮れする、何処かの歴代の為政者及び其の閣僚たちに、伯国の為政者を見習って欲しいと思いました。
直接小生の従兄弟たちに、現政府の経済政策に満足していますかと聞いたら、此の十年間の経済政策に満足して居るとの返事です。その生活環境のゆとりか彼等たちの住宅は、室内を明るく清潔に見せるクリーム色か白色の総タイル張り、其の家具類も従来の寄せ集めの類ではなく、家具店の展示室で見るような立派な応接間のセットと感じました。
現在の伯国の日系人社会は其の繁栄のしるしか、或いは出稼ぎによる資金つくりの成果か、「パイ(父親)の車か、そしてフィリオ(息子)の車と二車所有は普通で、家族が多ければ三台、四台も持って居る」実情です。其の関係で車庫を確保することが大事な問題と思います。そして気づいた事は、車庫の扉は五〇米先からでも、手の平に入る小さなセンサーで作動する、自動開閉扉が多くの住宅に設置されて居ります。これは現在、そして未来の防犯処置の一環だと考えられます。
リベルダーデ街と云えば、ブラジル訪問された方たちは一度は見物なされたと思います。小生が居た一九六〇年頃は日本映画常設館が三館ある程、日本色一〇〇%の格式高い日本人街として親しまれておりましたが、先日サンパウロ市内に住む三名の従姉妹たちの好意で見物させて貰いましたが、昔の面影はあの赤い鳥居と、これもまた赤色の街燈の群だけ。現在は韓国勢、中国勢にお鉢を奪われ、日本勢の退散の寂しさを感じました。
丁度其の日はアジア祭(以前は無かった)とかで、日系婦人たち三十名位と見ましたが、お揃いのあざやかな白い晴着に赤い模様の入った、目の覚めるような晴着姿が目立ちました。小生思わず楽しくなり無遠慮にも、一人の邦人婦人に「今日は何のお祭ですか」と尋ねましたら、今日は韓国、中国、日本合同のアジア祭ですとの答えでした。
余談に其の邦人婦人が申されるには、あれだけ私達が格式の高い日本人街リベルダーデとして誇りに思っておりましたが、韓国人特有の薄利多売商法、強引であくどい商人勢には勝てず、衰退の道を行く実情で、昔の格式高いリベルダーデ街も、現在では単なるフェリア街に落ちるんじゃないか、私たちが此のアジア祭に参加するのも、日本人まだ健在なりの意気を示したい、日ごろのうっぷん晴らしの意味で参加しましたと、なるほどと思った次第です。
其の一丁目位の横道にあるフェリア街をのぞきましたら、驚いた事に買い物客約80パーセント位は日系人の老人たちで、此の人達はおそらくリベルダーデ街の元店主たちではないかと、勝手な想像をした次第です。此の賑やかなセントロには数多くの日系人が住んで居るのは、間違いない事実です。
亦一つ驚きましたのは、カンピナス市内に住む小生の従兄弟、島袋洋八君(七九歳)宅に約二週間ほどお世話になりましたが、従兄弟たちのカラオケ熱です。先ず目につくのは部屋に飾られて居る多くの優勝カップで、此れは誰が貰ったカップかと尋ねますと、妻の房子が貰ったものと返事でしたので、早速房子さんにお祝い申し上げました。
現在カンピナスだけではなく、カラオケ熱は伯国全土の日系人に分布し、単なる飲み食い座だけのカラオケではなく、各地区にカラオケ教室があり、サンパウロ市を含む郊外都市に何と二十三のカラオケ教室があり、それも正式の五線譜、ドレミファ習得によるカラオケであり、規則にしても中々きびしく、各年齢層による優勝獲得戦で、一回、三回、五回、十回、十五回があり、規則として年齢別で各歌手の歌唱技能差に依って新人賞とか特別賞とか、いろいろな賞が貰える訳で、原則として第一回目の再歌唱は一切認めずとのことです。
此の小生の従兄弟たち五人兄弟夫婦は長男輝世君(八一才)で、残る四兄弟も皆七〇歳を越える高齢者達ですが、毎週木曜日か金曜日、同市にある沖縄県人会館に行き、カラオケ習得に夫婦で行き励んで居ます。何と楽しい出来事じゃないですか!
此のカンピナス在の島袋兄弟の外にサンパウロ市とサント・アンドレス市に住む洋八君の従弟たち二人、新一君、吉春君は彼等より少し若く、習得も年数も長いので、大分上のカテゴリアまで届いて居る話でした。
豊かな経済生活を楽しんでいる日系ブラジル人高齢者は、ゲートボール競技、或いはカラオケ習得で日本語を覚える楽しみ、私たち老人が最も不安を感じる認知障害予防にも通じるので、一挙両得な出来事とうらやましく感じました。
浅才浅学を省みず小生なりのつたない伯国訪問記記載の労をとって下さいました貴社の御好意に厚く感謝申し上げます。