Jueves, 20 de Julio de 2017
日系社会を考える

知り合いになって35年以上になる、タケシと話をする事が出来た、大部長い間スポーツをする時たまに会うのだが、彼と10分以上話する事はなかった。タケシが現在の日系社会をどう思っているのか少し気になったので会って喋りたかったのだ。彼の家でくつろぎながら語った。

皆さんも周知のよう、ブルサコ日本人会はスポーツや社会活動を通じて日系社会に貢献してきた。私には、ブルサコは何世代にも渡って人々やグループに役立つ団体としての義務を果たしていると思う。楽しみや興味、野心やたまには論争を私達に投げかけ、考えさせ、疑問や分析等と、それはいろんな形で青年グループへの援助となった。
大勢の同胞は、白いシボレーに乗って日系のいろんな大会に参加してきたのだ、日系団体について何か言う事はないのですか?答える事の出来ない質問が頭をよぎる。
ここで気に掛かるのが、同じ様な団体でも地域社会との相互作用を優先するのと、 伝統維持を優先して行く機関は一体何が違うのだろう?
血統の混ざった夫婦や日系人が自然にアルゼンチン社会に溶け合う傾向が私達のコム二ティを急激に拡げて行くだろう.....と私は思う
参会の増加や援助活動をする事が私たちの世代の移行であり、また若い世代は、両親や祖父母からの伝統的な職業から新しいプロジェクトへと変化しつつある。地域の日系社会は、一つにまとまる傾向にある、日亜学院の様な自然な変化が、近い将来行う必要が有るのではないか?

 

考慮させるテーマについて
殆どがアルゼンチン人で構成された日系団体に対する疑問点が、昔と同様な価値感や伝統(習慣)を持ち運営されているが、ここで疑問に思えるのは、この様なタイプの団体を維持出来るのだろうか?
日系団体全体がFANAを支える必要があるのではないか。アルゼンチンの日系は皆FANAだ、だから皆さん力を合わせ個人主義を捨て、ただ単に個人だけが讃えられようとは考えず日系共同体の為に尽くす必要がある。日系団体の優れた代表者として最も肝心な事は、役職が好きで才能がある事、そして語学に堪能で優れた文化知識を持っている事だ、
またこの役職には、いろんな問題がある、例えば、責任が重くまた自身の家族や職業、仕事等を守りきれない。個人の責任と団体の役職とのバランスが非常に難しいのだ、
七人兄弟の、エミリア、オルガ、双子のタケシとイサオ、ビセンテ、マルティン、エドアルド、彼らは、ブルサコ西部から頭角を表し、委員会で理事として出席、会計を15年間務め、のち数期間幹事に任命された、いつもスポーツを愛しフットボール、バスケット 野球 卓球と特に優れた選手ではないが、常にスポーツ組織と行動していた。
スポーツを共に過ごし、一つ抜き出ていた存在、当然日系社会外でも常に成長していた。当時クラブ内では、出来る範囲でトーナメント開催を維持し、青年の会員達も、大会参加に時間を割いていた。もう50年以上にもなるが、彼らとはいつも挨拶を忘れない、卓球の試合で何時も分かち合っていた友、スポーツは、社会機能の一つとして、単なる競いとは別に深い意味が隠れているのだ、

思考,疑問,分析者
何年も昔の話、あるペナルティ判定のシステムが仲間同士を動機づけた、当時フットボール大会で不公平なルールがある書類に記されていたのだ (捜せば、見付ける事が出来るのだが) 。つまり解釈が違うのだ。驚いた事に、どうも一ヶ月程前からFIFAがSUB20の大会を試験的に採用していたらしい。

ところでルールの新しい解釈とは?
現在のように試合が同点となった場合、チームが交代してペナルを蹴っていくのとは違い、丁度テニスに採用しているタイブレークと同様な
ルールだ。今までのシステムでは、先にべナルをするチームをくじ引きで決め、交代にペナルを繰り返す。例えばAチームが初めに蹴り次はBチームそしてまたAチームと5回繰り返し、片方のチームが勝つ為に(得点差が)有利になる迄続ける。新しいシステムは、ABBAと呼ばれ、初めAチームが蹴り次にBチームだが、次は、またBチームが続けAチームに戻る、つまり2つのペナルが続く事になる。