Lunes, 16 de Abril de 2012
沖縄・大阪・宮崎歩き記 (4)
Escrito por つづく   

名桜大学訪問
名護市にあり、緑に囲まれた大学である。新垣定二・沖県連会長、比嘉アントニオ善雄・沖縄県人移民100年史編纂委員長、新里孝徳・同財務委員長、新里真一・同総務委員長、崎原朝一・同日本語編集長の一行が丑野隆史さんの案内で訪れたが、これは同大学から沖県連の移民史編纂作業への協力として、丑野さんを派遣して頂いたことへ、お礼を述べるためだった。

広い地域に本部棟、総合研究所、講義棟、大学院研究棟、ドーム型の多目的ホール、体育館、留学生センターなどが連結し、あるいは散らばっている。途中の林で蜩(ひぐらし)が鳴いていた。
学長室で瀬名波栄喜学長に挨拶、金城亮教授、住江淳司教授も交えて歓談する。「学生の南米現地実習は経済的な理由から、これまでペルーだけにとどめてきたが、ブラジル、アルゼンチンはそれぞれ価値のある違いを持つ国だけに、復活させたい。名桜大学も2年前から公立大学に昇格した。これには、(沖縄)北部12市町村の後押しがあった」(住江教授)、「中南米も広く知ってもらう形で、人材が揃って欲しい意味で、ブラジル、アルゼンチン訪問を来年から実現させたい。現在公立校となり、全国から学生が集まるようになった」(瀬名波学長)、「(南米現地学習は)県人会のネットワーク、卒業後の進路を考える意味で大きい。卒業生の先輩たちが頑張っていることも心強い」(金城教授)、といずれも南米とのつながりを強調した。
写真 写真説明 中央奥が瀬名波学長。

 

感謝状贈呈
沖縄アルゼンチン友好協会主催の席上、沖県連の老人宿泊福祉施設建設費として、大口寄付を頂いた次の団体へ感謝状が手渡された。沖縄県町村会、沖縄銀行、医療法人「おもと会」、中城村字久場自治会、沖縄市芸能団協議会、宮城流和美の会。
そのほか、平良栄次郎さんの場合、アパートを訪れて手渡された。中食産業に参加するデリカ拓栄の社長で、出稼ぎ南米留守家族交流団の案内役として、毎年ブエノスアイレスを訪れる平良さんである。
住まいは新都心、おもろまちの中でも一等地の高台にあるアパートの上階にあり、那覇をはじめ遠くまで一望に収めることが出来る。ちょうど昼前で、奥さんがパスタ料理を用意してくれる。
写真 写真説明 右から2人目平良さん、3人目新垣会長。

嶺井クリニック
泌尿科専門のクリニックで、嶺井定一院長はロサリオ生まれのアルゼンチン二世である。母親は90歳余でまだ健在である。
父親の定之(ていし)さんは移民としてアルゼンチンに渡り、ロサリオで洗濯店を営み、1938年に沖縄へ帰った。戦時中、沖縄防衛隊として狩り出された。戦後の1953年という早い時期、一緒に帰国した仲間の志伊良正良さん、照屋与真さん等と沖縄アルゼンチン協会結成に奔走した。
嶺井院長からこの日、高齢者宿泊福祉施設への寄付100万円が新垣会長へ手渡された。父親の時代からの絆で、アルゼンチンに関心を持ちつづけ、幾度も訪れている。
ベルサイユ宮殿風の華麗な室内装飾、家具調度類が目を引く。
写真 写真説明 前列右端が嶺井院長、その左が母堂、後列左端が夫人。