Viernes, 02 de Marzo de 2012
従業員留守家族慰問団来る

中食産業のデリカ社系2社

デリカ系の中食産業のグルメデリカの長野県松本工場の竹ノ内芳昭氏(団長)、菜デリカの吉田聡九州工場長ほか10名の団員が、お馴染みの平良栄次郎・拓栄デリカ社長を案内役として、ブエノスアイレス市を訪れ、去る7日(火)夜、ホテル・パナメリカーノのサロンで懇親夕食会を開いた。
はじめに平良社長による紹介、竹ノ内団長の挨拶、一人ひとりの自己紹介があり、あと、各テーブル毎に分かれて団員が同席、懇談しながら会食に移った。

食事を取りながら、各工場の作業現場がビデオで映し出された。現場では食品を扱うので、入る前の衛生、清潔面の注意は至上命令だ。すべてオートメ化された工場で、ご飯の炊き上げ、おにぎり類の仕上げ、惣菜作り、包装、販売地域別の仕分けがあり、その間あいだに人手が入る。日本語に堪能な日系人の若者は、コンピューター操作でデータ処理をしている。
お互いに電話で連絡していた昔と違って、現在はインターネットでお互い簡単に手紙を交わしたり、写真が送れる時代だが、実際に工場の現場や住まいの生活がビデオに写されるものはインパクトが強い。熱心に目を注ぐ家族、涙を拭く母親もあった。
また、テーブル毎に家族がビデオに収められたが、こうしたメッセージ交換、映像交換から双方の安心感、信頼感が高まるわけで、今回でデリカ系の南米訪問は20回にもなる。
日本に居る田中ブルーノさんの家族の場合、母親は非日系人。「埼玉県の所沢で働き、2001年、05年に往復し、今では長男のブルーノが残っている。子供一人は日本生まれで、もう一人次男が気管支が弱くて帰ってきた。勉強はアルゼンチンでさせたい。日本は治安がよく、安心できるところがいい。アルゼンチンは政府の政策がしゅっちゅう変わっているのが嫌。アサードを囲んでのつき合がいい。今、メルカード形式の商売をしている」、とのこと。
宮脇幸輝さんの家族は、「日本で5カ年半ほど働き、2年ほど前に帰ってきた。幸輝だけが群馬県草加に残っている。大学の経済部にいたが休学、帰ってから復学するはず」、という。
赤島ケンコウさんの家族も、やはり日本へ出稼ぎに行っていた。「20年前に東京府中の東芝の工場で働き、5年越し、2年越しにアルゼンチンに帰っていた。その後、造船所、土木会社に働き、最後にグルメデリカの会社で。3年前から長男のケンコウが働き出し、次男も帰ってきたが、また行く予定。長男は社会勉強で、帰国後はまた勉強をはじめる」ようだ。
「菜デリカの九州工場は佐賀県三養基(みやき)郡みやき町にあり、そこから、長崎、福岡、大分、熊本の4県にもトラックで配送される。弁当はLawson系のコンビニエンス・ストアに入れているが、東日本大震災直後は10%減少したが、その後領域を広げ、競争は激しいが工場としては伸びている。
従業員500人が3交代制で働いている。時どき南米から来た人たちがアサードをやって招待してくれる。出身地の物同士、あるいは、ブラジル系、アルゼンチン系の間の結婚も増え、知らないうちに日本の良い習慣を覚えていくし、残っていくのではないか」、と兵庫出身だが九州工場の現場責任者のポストにある人。
東日本地域では大震災当時は売れ行きがぐっと落ちたが、その後作業員、ボランティアが増えると、弁当の需要は増えているとのこと。
少なくとも、中食産業で働く人たちは経営陣と違い、日本の厳しい経済・政治状況のなかで、ゆとりのある労働生活が保障されているようだ。
最後に、竹ノ内団長の音頭で万歳三唱で締めくくり、解散した。あと、パラグアイ、ブラジル、ペルーと巡回訪問はつづく。