Lunes, 25 de Enero de 2021 |
視点と思考の転機 |
Escrito por 山口 明子 |
私は、主人と娘の三人家族の主婦です。四歳でこの国に来た娘は、今年六歳になりました。一主婦の私の強制隔離期間を、外出禁止の時期と、少しずつ規制緩和された時期に分けて振り返ってみると、前半は「親子時間・家族時間」「新しい自分との出会い」、後半は「足るを知る日々」そんなキーワードが浮かんできます。
外に出られない、会社にも学校にも行くことのできない毎日。はじめはどう過ごそうか途方に暮れたものでしたが、そんな毎日の中で増えたのは、我が子と向き合う時間でした。娘が生後半年の頃からベビーシッターをお願いして、時短勤務ながら子育て中も仕事を続けてきた私は、アルゼンチンで初めて専業主婦になりました。専業主婦になって、我が子との時間がとても増えたと思っていたけれど、普段の日常には、やるべきことも考えなければならないことも多くて、気づくと何かに追われるように過ごしてしまっていました。我が子と一緒の空間にいても、一緒に何かをしていることは思ったよりも多くなかった気がします。それが、外出禁止の期間、国中の様々なことがストップしていたせいか、生活も思考も普段よりずっとシンプルになったのを感じました。特別しなければならないことも、考えなければならないこともない日々。一日のほとんどの時間、我が子と向き合うことができました。一緒に絵を描き、一緒に学び、一緒に笑って、一緒に作って食べて。ずっと親子時間で、ずっと家族時間。こんなことでもなければ、経験することのなかった時間だったと思います。生活が少しずつ元通りになると、また以前の気忙しい日常が戻ってきて、ずっと我が子と向き合ってばかりはいられなくなりました。あの時間は、宝物でした。 そしてまた、外に出ることのできない日々は、私にとってこれまでしてこなかった工夫やチャレンジの連続でもありました。同じ顔ぶれで同じ空間にずっといる生活に、小さくとも新鮮な楽しみを見出したくて、マンションのテラスにレジャーシートを敷いておにぎりを握り、ピクニックを演出したり、テラスにテーブルやクッション、ブランケットやライトを出して、パソコンで映画を観るシネマナイトを開催してみたり。もっと前からやってみればよかった、と思うような楽しい企画が、この隔離期間中に生まれました。そして、篭りきりの日常の最も重要な楽しみといえば、それはもちろん「食」。仕事を理由にそれほど新しい工夫をしてこなかった料理にも、変化がありました。家族みんなでピザやパスタを粉から捏ねて作ったり、三食食事を作った上に、おやつにケーキやクッキー、プリンを焼いたり。強制隔離期間にはじめて皮から作ってみた餃子。いまでは、主人が生地を伸ばして作った皮に私が中身を詰めて包み、夫婦共同作業で作るのが、我が家の定番になりました。ひとつひとつ例を挙げるときりがありませんが、この隔離期間中に、裁縫、折り紙、工作、お絵描きなど、「向いていない」「好きじゃない」「できない」と、積極的にやってこなかった様々なことにチャレンジする機会があり、これまで避けてきたそれらを自分が楽しめていること、やってみたら意外とできることに、驚きと喜びを感じました。 少しずつ規制緩和され、こどもを連れての散歩が許可され、店舗が開き、外での食事ができるようになった強制隔離後半、これまで自分たちが当たり前に享受していたことのひとつひとつに感謝する気持ちが、とても大きくなったことに気がつきました。強制隔離開始から二ヶ月後、家族みんなでマンションのエントランスの外に出た日の感動を、私は忘れることができません。空の色、風の匂い、陽の光のあたたかさ。それらを感じられるだけで幸せで、涙で景色がぼやけて見えました。いつでも花を買えること、花を飾ってそれを愛でる気持ちの余裕があること、お天気の良い日にいつでもそとに出られること。いままで当たり前だったことが、当たり前でなくなる体験をしたからこそ、そのありたがさを身をもって知ることができたのだと思います。いますでにとても幸せなのだ、「足るを知る」とはこういうことなのだと、初めてわかった気がしています。私にとって強制隔離期間は、かけがえのないものを得、いままで知り得なかった気持ちに気がついた、人生のひとつの転機のような時間でした。 世界最長の強制隔離期間をこんな気持ちで乗り越えることができたのは、いつも一緒だった家族、共に励まし合ったこの国で暮らす友人たち、離れていても心の支えだった日本の家族や友人、みんなのおかげだと思っています。そして最後に、私にこのような場を与えてくださったラプラタ報知に、心から感謝いたします。 |