Miércoles, 09 de Mayo de 2018 |
ドミンゴ カバーロ再登場 |
五月の初め、経済学者ドミンゴ-カバロ氏が、アルゼンチンの情報メディアに現れた。2001年フェルナンド-デ-ラ-ルア政権終わりの頃スーパー大臣とも呼ばれ、またメネン政権 (1991-1996)当時も経済大臣を務めた。カバーロ氏はマウリシオ・マクリ大統領と会談したと言う噂を数週間前指摘した数人の記者もいたが、カバーロ氏はそれを否定した。 注目されたのは、インフレや公共サービス代、ドル上昇等経済問題の声明を出した直後に現れた事だ。カバーロは”経済大臣がいない”とTNのニュースで語っり、このまま過剰債務の政策が続けば払う利息が上昇し負債が短期間に貯まり財政赤字になれば、また数年で2001年の経済危機に戻る事になると肯定した。そして付け加えたのが「 アルゼンチンの経済史を知らないというのが、このチームの最大の欠点だ。 技術的に高度に準備された人はいるが本当のアルゼンチン経済史を知らないでどうこの問題を解釈するのか、特に最後の三十年間に於いて 」と語った。カバーロ氏が現れたのは偶然では無い。当時2015年大統領選挙決勝戦でマウリシオマクリ氏が勝ったと注目された夜、全テレビ局のカメラが写している新大統領の家の玄関の前をカバーロ氏が何食わぬ顔で素通りしたのだ。 カバーロ氏が有名になったのは、経済大臣としてのパフォーマンスだ。彼は、1987年から1989年, また1997年から1999年の間国会下院議員を、また中央銀行総裁やメネン時代外務大臣を務めた。 有名な行政としてレイ デ コンベルティビリダ”1ペソは1ドル”やコラリートを行った。 忘れられないのが1991年に起きた年金受給者の前で涙したエピソード、年金引き上げの主張に当時率先していた老女ノルマ-プラが彼に言った”泣かないで大臣さん泣かないで”そして”力を出して自分を守るのよ、お母さんがいるんでしょう、まあこの広場には絶対私達とは一緒に居ないけどね”
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