Viernes, 13 de Abril de 2018 |
バイリンガルジャパン |
日本とスペイン学生の交流の場。
日本語を話す”この偉大なチャレンジについては、この20年程前迄、高価で分厚く専門的な辞書や、広範囲な教科書の取得を必要としそれ程簡単では無かった。しかし、Webや技術革新により現代社会に於ける洗練された通信システムのお陰で、 魅力的で協調的な日本語研修が誰にでも出来る様になった。「ジャパンバイリンガル」
横浜に住む翻訳と解説を職とするアルゼンチン出身の日本人サムエル-ケンゾー-ザハの創った Facebookグループは、日本やスペイン語圏出身者の集まる所だ、会員は、質疑応答、自習や思考でお互い助け合い仲間同士また自身への対話で学習はより有意義になる。このグループは2017年11月5人で始まった、しかしいざ公開してみると当日だけで350人のメンバーが集まり現在世界のスペイン語圏と日本国で総数5000人の会員がある。ザハは、「グループの目標は、メンバーを増やすのでは無く各人が参加し、言語を覚え又文化の普及に努めつつ最終的には、 純粋に文化交流に興味の有る人々を探すことです。」と語った。
ブエノスアイレスでの出会い 日影で摂氏35度迄達した日、 会員の1人がジャパンバイリンガルの 第1回ブエノスアイレスでの集会を2月18日にプエルト マデーロ地区のバーガーチェーン店で行なった。約30人の日本人学生と2人のスペイン語を習う日本人が、人生の経験また日本語とスペイン語に関する勉強について4時間程交流、各自さまざまな動機や目的そして日本に対する情熱を語りあった。 出席した1人のバネッサ シスロ、アニメを通して日本文化に興味を持つようになった若いアルゼンチンの折り紙専門家だ。 「私は家庭の事情により日本語アカデミーに授業料を支払うことができませんでしたが、この機会を利用し日本文化や言葉の勉強をさせて頂き大変感謝しています。」 Álvaro(29)彼は関西外国語大学とベルグラーノ大学の協定から、日本に留学した。旅行前、 日本語をあまり話せなかったがその文化と歴史には興味があった。 バイリンガルジャパンでは、簡単な事や複雑な物迄色んなテーマを語る事が出来る。車の説明書の翻訳や日常生活等、また仲間を助けたり知っている範囲で例えばこの映画はどう思う?とか議論したりと私の好みでもある。日本語を話すのは英語を覚えるのとはまた違う、日本人として見てもとても複雑だ、各自によって学習のやり方には千差満別、例えば文法や漢字から始めたり、また直接会話に入ったり別な例ではカタカナや平仮名などを覚えてから進める人もいる。アレハンドロ(39)は、日本語の勉強をまた始めた、と言っても完全に止めていた訳では無く、少しやる気が落ちたのだ。幼少の時に興味が湧き、当時パタゴニアで育ったのだが停電がよく起こり、日に漫画を一時間だけ読み、当時その独創性と質の高さに魅了された思い出がある。マットは、独学に対し関心を持っている。昔長崎出身の女性教師と勉強した時、彼が話すと彼女は書く事を強要したため、苛付いてしまい勉強を辞めてしまった。しかし自身の時間や動機を切り回すのが好きなのであるグループに入り立ち直った。現在ウオーキングホリデー留学プログラムの返事を待っている。それは手始めに仕事と引換に日本でのバカンスを利用し、日本を知ると言う昔からの夢を叶えるためだ。ラ・プラタからプエルト・マデロに到着したエステラは「Xジャパン」と描かれた腕のタトゥーを自慢げに誇示していた。これは80年代流行った日本のヘビーメタルバンドだ。彼女が日本文化に関心を持ったのは13歳の頃、当時勇気を持って近所の洗濯屋に入り”誰か日本語を教えて!”と頼んだら店で応対してくれた女性の娘さんから教わる事になった。現在日本人の彼氏を持ち、来月日本に行く計画を立て日本語の勉強に励んでいる。バーガーチェーン店で集会をしてる最中、ローカルインターネットの接続が許されたのでサムエルがPCを操作した、 ザハは、その時スペイン語会話者が日本語や日本文化を研究する手段を手に入れ、また逆にスペイン語を研究する日本人にとっても同様な目的を果たす事が出来たと感じた。つまり両方のニーズを満たした共通の場が創れたと言う訳だ。 |