Home >> Noticias
Noticias
Viernes, 21 de Septiembre de 2012
我如古弥栄さんもパラリンピックに団体参加

洋弓種目で、アルゼンチン2位の好成績

ロンドンにおけるオリンピックのあと、恒例のパラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)が8月29日から9月19日まで同じ場所で開催されたが、アルゼンチンからもいろんな種目の競技に参加した。我如古弥栄さんも洋弓種目団体競技の一員として参加、2位に漕ぎつける好成績を挙げた。

Leer más...
 
Viernes, 17 de Agosto de 2012
「マルビーナス戦争30周年を振り返って、4月2日と6月14日を考える」(下)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    

歴史を裁くことは、その国とその社会がどれだけの教訓を学ぶかであり、すべてを訴訟にして白黒をつけることはできない。政治が報復の場と化すれば、間違いなく現政権も力が衰えた時には同じように追放され、後には醜い報復が待っているだけではなく、政治制度は更に弱体化し、制度的に政策運営が今以上に困難になることが予想される。
マルビーナス戦争は確かに軍政権によって決定され実行されたものだが、将校も含めて我々兵士は国民の義務としてあの任務につき、それを想像を絶する環境のなか全力で尽くしたのである。英軍が、我々の功績と忍耐、勇気と戦いぶりをたたえるぐらい、あの限られた状況の中我が軍は戦ったのである。上層部の認識の甘さや、現場での不十分な統制と命令系統の粗末さなど、不備は数えきれないほどあるが、あそこで育まれた戦友同士の連帯感と友情や、あの戦争体験に対する思いはその島でしか得られなかったのも事実である。

Leer más...
 
Viernes, 10 de Agosto de 2012
「マルビーナス戦争30周年を振り返って、 4月2日と6月14日を考える」(中)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    

あの74日間はまぎれもなく戦争だった

このマルビーナス戦争に対して、歴史的、政治的、外交的視点については当然両国間では多くの相違点があるが、軍事的な分析については案外互いに戦場での功績を認め合っているのが大きな特徴である。
海外メディアは、あの出来事を「フォークランド紛争」として紹介するのだが、短期決戦とはいえあれはまぎれもなく戦争であったと理解すべきである。だから、今も2000人以上のイギリス兵が常時駐留しており、地対空ミサイル基地は島のあらゆるところにあり、早期警戒システム、戦闘機、フリゲート艦、原子力潜水艦等を配備している。
当時、イギリスと戦うことを我が軍も当然想定しておらず、そうした装備も訓練もしていなかったのは確かである(兵役では、仮想敵国はチリとブラジルであった)。4月2日の上陸から一週間後にサッチャー首相が、英海軍及びその機動部隊を派遣したことは想定外だったが、アメリカまでもが衛星写真等を提供したことによって、我が軍は世界最大の軍隊との戦争になってしまったのである。当初は我が国の方が有利だったのだが、制空権、制海権を失ってからは非常に困難になり、イギリス軍上陸後の戦闘は「ろう城」に近い状態が幾つもあったと言える。プエルト・アルヘンティーノが陥落したのも最終的には前線部隊を援護することもできず、武器弾薬、食糧の輸送がほとんど不可能になったからである。

Leer más...
 
Jueves, 02 de Agosto de 2012
「マルビーナス戦争30周年を振り返って、 4月2日と6月14日を考える」(上)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    

30年ぶりに「戦場」を訪れた
今年は、我が国が以前から領有権を主張し、30年前に実力行使で島を奪還したことで節目の記念年である。その実行支配は、激しい戦闘の後に70数日間で終わったが、当時の軍事政権の終焉をも意味したものでもあり、多くの命を引き換えに事由と民主主義が回復した。
あの出来事からかなりの時間が経過したにもかかわらずその戦争に対する評価は国内でも一筋縄にはいかず、これまでどの政権も真剣に政治的、歴史的、外交的、経済的、そして軍事的に分析を総合的かつ専門的に行ってきたとはいいがたい。一部の退役軍人やジャーナリストによる出版物はいくつか出ているが、その内容も近年はイギリスやアメリカの資料も引用しているにもかかわらず、まだその戦争に関わった当事者からの証言と資料が不十分である。当初から、帰還兵の証言にもとづいた書物はあるが、かなり自虐的かつ被害者意識のものが多く、出版社の思惑もあって職業軍人に対する痛烈な批判が目立つ。映画化されたものもあるが、ほぼすべてが「兵士 vs 将校・下士官」という構造になっており、あまりにも単純化されたもので歴史的価値は低い。

Leer más...
 
Domingo, 22 de Julio de 2012
F・バレラ日本人会が市役所へ発電機一式寄贈

入植当時からの、深い絆・交流の一環として. ペレイラ市長も出席、親睦アサード

F・バレーラ日本人会は、発電機一式をF・バレーラ市役所へ寄贈することから、去る1日(日)13時すぎより同会会館で簡単な引渡し式を行い、そのあと、親睦アサードがあった。
Julio Pereira 市長をはじめ、A・Bagato保健局長、市長秘書、その他のスタッフ、日本人会側から具志堅ウーゴ会長、中村マルコス前会長,屋宜宣順元会長、その他30名余の参加があった。
F・バレーラは、近くに多くの日本人初期移民が蔬菜栽培のため入植したグティエレス地域があったので古い歴史をイメージさせるが、比較的新しいコロニアである。
まず、F・バレーラ市は1891年はじめに創設されたが、この地生まれの記者・文筆家のドクトル・F・バレーラの名前がつけられた。

Leer más...
 
Viernes, 06 de Julio de 2012
世界柔術選手権優勝の後仲門ガブリエルさん

浜同志会がうるま園で祝賀会. 韓国の武道、テコンドーでも高段者

浜同志会(仲兼久エンリケ会長)では、さる5月27日(日)正午、後仲門ガブリエルさん(42歳)が昨年11月、ペルーで行われたJiu-JitsuNefusen世界選手権で優勝したことから、うるま園で祝賀会を開いたが、家族、同志会会員はじめ、うるま市民会の下条善徳さんの出席もあって賑わった。
25カ国が参加してペルー柔術世界選手権で、ガブリエルさんは教師級で金メダルを獲得しただけでなく、主将とし率いたアルゼンチン代表も団体で優勝、カザフスタン2位、主催国ペルーが3位の成績だった。また翌日、ガブリエルさんは、20年以上の教師歴を持つ柔術家の一人として表彰された。
写真1 写真説明 アルゼンチン代表団で、前列左端が主将のガブリエルさん
柔術は、日本古来の古武道「柔術」とは直接関係ない。移民としてブラジルに渡った日本人柔道家の前田光世が、プロレスリングの格闘家などとの戦いから習得した技術や柔道の技術を、ブラジル人のグレイシー兄弟などに伝え、彼らが改良してきたものである。

Leer más...
 
Jueves, 28 de Junio de 2012
「快適な人生を万人のために」(下)
Escrito por  山内隼雄   

コールドバ州日本人会 高齢者福祉センター

もう一つの例。
若いママが二歳になる男の子を連れて来ました。なんだか元気がない、寝つきがとても悪い。寝たと思ったら泣きながら目を覚ますのであっちこっちのお医者さんに診てもらったのですが、ラチがあかないので途方にくれてやって来たのです。
体を診ると、心臓を痛がる。腎臓もカチカチに固まっている。首をみたら、頚椎の転位があり、肩もそれは固いのです。まるで前記のご老人のように、二歳の子供の体が固いのです。
子供の体は正直です。骨盤を正してやると三〇分もかからずにニコニコとはねて帰りました。
骨盤の正常性が、どれほど大切なものであるかという、もう一つの例です。
これは三年前のことです。結婚して一〇年になる三十六歳の近くの女性が、腰の痛みと首の痛みで来ました。腰を正したあと、腹部の触診をしていると、子宮のところが硬く、石がごろごろしているみたいになっているのです。
これおかしいよと言うと、妊娠するのだがすぐ流れてしまい、十年にもなるのに子供ができないと、悩みを打ち明かしました。

Leer más...
 
Jueves, 14 de Junio de 2012
「快適な人生を万人のために」(上)
Escrito por  山内隼雄   

コールドバ州日本人会 高齢者福祉センター

人体から(自分の体から)痛みを取り除き、快適に人生を過ごせる方法を私が日頃行っている「骨盤調整」の仕方から、いろんな痛みがそれほどの解決し難きものではないことを、説明さしていただきたいと思い、らぷらた報知に寄稿をするものです。
日本から入る健康・病気に関する貴紙の記事を読む度に、どうしても異見(意見ではありません)を述べたいと思いました。
ちなみに、今年三月二〇日付けの「足底の痛み」が腱の小さな断裂となっておりますが、アルゼンチンでは「エスポロン」といって沢山の人が悩んでいます。
私見では痛風の一種であって、原因は骨盤の歪みから起っているのです。

Leer más...
 
Viernes, 01 de Junio de 2012
ブルサコ恒例の「すきやき敬老会」、盛り上がる

その他、70歳以上の高齢者87名へ贈り物

ブルサコ日本人会恒例の「すきやき敬老会」が去る20日(日)正午すぎより、同会会館サロンで催された。長沼智之領事、武田浩幸JICA所長、米須清文FANA会長、生垣彬・同社会福祉委員長夫妻、セノ・ディアス・パレルモ大学教授夫妻、関野JICA青年ボランティア、その他福祉関係者、多くの70歳以上の高齢者たちが広い会場をいっぱいにしてすきやきの味を楽しんだ。
はじめに、仲間エドワルド会長より「我々の日本的情緒を引き出すすきやき会に、日系社会の主だった人たちに来て頂いた。今日此処に居られる人たちは、70歳以上の会員で、これまで役員、あるいは、文化、スポーツを通して会の成長に参加してきた人たち。このブルサコ日会を、自分の家のように受け止めてきた人たちで、現在我々は、こうした先輩、将来をになう若い人たちのために務めており、同じ屋根の下でこれからもずっと力を合わせて行きたい。30年以上の会暦を持つ70歳以上の会員が、今日から名誉会員となります。

Leer más...
 
Jueves, 24 de Mayo de 2012
若者ウチナーンチュ連合会設立

一世から後続世代へ、沖縄とのつながり重視.

オキナワ系の若者集会が去る19日(土)夕刻より、沖県連会館2階ホールで開かれたが、50名近くの参加があった。
これは、昨年の第五回世界のウチナーンチュ大会で、宜野湾市にある沖縄コンベンションセンターにおいて、若者ウチナーンチュ連合会(WYUA ワールド・ユース・ウチナーンチュ・アソシエーション)を発足させたこと、さらに、来る7月ブラジルで、「第一回若者ウチナーンチュ大会」が開催されることから、その説明会、つづいて出席者たちが自分と沖縄とのつながり、アイデンティティーについて手短に話す円卓会議があり、意見交換が行われた。
まず、若者ウチナーンチュ連合会アルゼンチン代表の瀬底ギジェルモさん、さらに米須パブロさんから説明があった。

Leer más...
 
Miércoles, 02 de Mayo de 2012
台湾映画「虹の橋 セデック・バレ」を見る

ブエノスアイレス国際独立系映画祭で上映。 台湾統治時代、最大規模の抗日暴動

第14回BAFICI(ブエノスアイレス国際独立系映画祭)が4月11日から2日まで催された。これは、ハリウッドの大手映画企業の傘下に属しない独立資本による自主映画を中心にしたもので、今回で14回目。映画フアンの渇望する映画祭で、市内の23の映画館で449本が上映されたが、うち、アルゼンチン国産映画も111本。35万人が入場し、昨年比で15%増だったことが示すように、すばやく手配しないと、前売りのチケットはすぐ売り切れる。
ところで、台湾映画「虹の橋 セデック・バレ」(監督 魏徳聖=ウェイ・ダーション)を見ることが出来た。駐亜中国経済文化代表部(台湾はアルゼンチンと正式な国交はないので、大使館に相当する)の招待で、以前、アルゼンチン日本人移民史編纂時代に手伝ってもらった曽さん(曽昭陽)の仲介によるものだった。

Leer más...
 
Miércoles, 16 de Mayo de 2012
マチュ・ピチュ 観光

7月06日ブエノス・アイレス発 (4泊6日)
ブエノス・アイレスから日本語のコーディネータ付き、マチュ・ピチュでは地元の日本語ガイドよりご案内が御座います。 スペイン語にご自信がない、お一人でご旅行ができない方でも安心できて旅行が楽しむことができます。
詳しくは、弊社へお問い合わせお願い致します。

Tel. ( 011) 5353-1170
Esta dirección electrónica esta protegida contra spam bots. Necesita activar JavaScript para visualizarla

 
Miércoles, 25 de Abril de 2012
沖縄、大阪、宮崎 歩き記 (6)
Escrito por つづく   

沖縄空港から妻と一緒に関西空港へ飛び、大阪市内へ電車で入り、新大阪駅近くのホテルへ泊まる。朝食の食堂へ集まった泊まり客は出張社員、工員風の人達が多かった。
御堂筋線に乗り、天王寺区域にあるお寺へ行く。昨年初頭に亡くなった義兄に線香を上げるためである。仁王像の立つ寺門が見えるだろうと見当つけていたが、それらしきものは見当たらない。たずねながら歩き回る。人家つづきの思いがけないところにあり、石段を登ると意外と大きな寺で、たくさんの参詣者。
帰途、新大阪駅近くに大丸百貨店があり、またいくつか建築中のものもある。百貨店に入ると、沖縄同様人の動きがいっぱい。ある人評して「だから日本経済は大丈夫。底力がある」と言うが、納得できない。人や金を吸い上げている巨大な装置である。
翌日、奈良に近い羽曳野に向かう。奈良に近いせいか、古墳が目立つ。沖縄、宮崎に疎開してからも親交のあった友人だが、大手術のあと快方へ向かっていた。その弟とは60年ぶりの再会。彼がホテルとの間を車で往復してくれる。
さらに翌朝、ホテルから新大阪駅へ向かう。勤め人のほとんどが濃灰色のスーツでネクタイ。沖縄のかりゆしウエアとは対照的。九州の小倉まで新幹線に乗るわけだが、新宿駅ほどではないが大勢が様々に動いていて途惑う。駅員に尋ね、標識通りに歩いて乗り場へたどり着く。

Leer más...
 
Lunes, 14 de Mayo de 2012
着亜60周年のチチャレンガ号同航海者

家族揃って、永い航海、亜国生活振り返る

1952年4月18日にブエノスアイレスの港に到着した、オランダ船チチャレンガ号の同航海者たちが去る6日(日)午後2時過ぎ、市内にある中城会館に集まり、大きな節目を祝った。マルデルプラタから駆けつけた家族もあり、60年振りの出会いとなったが、同航海者24名、二世、三世、混血も混じる家族もあわせて50名余が揃い、懐旧談に浸り、余興を楽しんだ。
まず、特製アサードや持寄りの日本料理の会食から始まった。
チチャレンガ号(1万972トン)は1952年2月4日、勝連半島にあるホワイトビーチから85名を乗せて出発、75日にわたる長い航海のあと、4月18日、ブエノスアイレスに到着している。

Leer más...
 
Lunes, 16 de Abril de 2012
沖縄・大阪・宮崎歩き記 (4)
Escrito por つづく   

名桜大学訪問
名護市にあり、緑に囲まれた大学である。新垣定二・沖県連会長、比嘉アントニオ善雄・沖縄県人移民100年史編纂委員長、新里孝徳・同財務委員長、新里真一・同総務委員長、崎原朝一・同日本語編集長の一行が丑野隆史さんの案内で訪れたが、これは同大学から沖県連の移民史編纂作業への協力として、丑野さんを派遣して頂いたことへ、お礼を述べるためだった。

Leer más...
 
Sábado, 07 de Abril de 2012
沖縄・大阪・宮崎歩き記(3)
Escrito por つづく   

「ハワイの日系人」(仲嶺和男 ハワイ パシフィック プレス)
[日本人移民] 明治政府とハワイ政府との協定で、1885年から移民が本格化し、日本人移民が禁止される1924年までに約20万人がハワイの土を踏んだ。最初の10年で半分は帰国したが、二世の誕生が増えて、太平洋戦争が勃発したころには全人口の44%、約半分を占めるまでになっていた。
現在、それは28%に低下。他の州から移り住む人が増えたほか、フィリピン人、韓国人の増加などが原因です。それでも3人に1人は日系人・日本人という状況は続き、多数民族ということになる。

Leer más...
 
Miércoles, 21 de Marzo de 2012
沖縄、大阪、宮崎歩き記 (1)
Escrito por つづく   

エセイサ空港を昨年10月9日に出発、第5回世界のウチナーンチュ大会に参加し、大阪へ寄り、宮崎まで足を伸ばしてアルゼンチンに帰ったのは10月29日だった。
以後、新聞作りの仕事に追われ通しでまとめるヒマがなく、新年特集号を出して一応肩の荷が下りたところで、行事、旅行中のいくつかの訪問先、エピソードに触れてみたい(ニュースとして発表された行事ははぶく)。

Leer más...
 
Martes, 20 de Marzo de 2012
初めての「ブルサコ祭り」に約3000人

真昼間の盆踊り、組織化して乗り切る

ブルサコ日本人会主催の「ブルサコ祭り」が去る11日(日)10時過ぎより、同会所有の協和園で開かれた。なにしろ、治安の関係でまだ太陽が照り付ける真昼間の盆踊りである。武田宏幸JICA所長、ロンチャン警察署長夫妻、生垣彬FANA(日系団体連合会)副会長夫妻を始め、多くの観衆が会場を埋めて主催者達を安心させた。
いつもの、ゲートボール競技場に常設櫓(やぐら)が築かれて会場とはや変わり。たくさんの提灯が夏祭りらしい雰囲気を作り出し、周りにはたくさんの食べ物、日本風の土産品、飾り物を扱う売店。

Leer más...
 
Miércoles, 28 de Marzo de 2012
沖縄、大阪、宮崎歩き記 (2)
Escrito por つづく   

「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会―」

同じ14日、琉球大学移民研究班の主催で、やはり、くもじ市民劇場ホールでフォーラム「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会― 」 が開かれた。
参加したのは、司会の前原信一(前沖縄テレビ・ディレクター)、ブラジルの深沢正雪(ニッケイ新聞編集長)、バネーサ知念(UTINA’ PRESS)、ハワイの仲嶺和男(PASIFIC PRESS),アルゼンチンから崎原朝一(らぷらた報知)。
海外における日系社会、あるいは、沖縄系社会の現状報告、そのあと、今後の沖縄、および、日本と海外日系・沖縄系社会とのつながりについて、それぞれの現地社会と世界的な広がりに絡み合わせながら討論することが狙いだった。
それぞれの国の報告に興味深かった点があり、それは次の通りである。

Leer más...
 
Martes, 13 de Marzo de 2012
老人の伯国旅行 
Escrito por        金城郁夫   

小生、一九五六年以来、亜国より伯国に移住し、カンピナス市郊外の軍所属の「ファゼンダ シャパドン」に借地で、トマテ栽培をして居る伯父の支援でトマテ栽培をして居り、そして同時に呼び寄せた小生弟夫婦子ども三名家族と共同でトマテ、ナスビ栽培をして居りましたが、三年後、同郷出身の伯国生まれの女性と結婚(現在の妻)、長男出生と同時にサント・アンドレス市在住の義兄のアルマセンに三ヶ年就業、六三年に亜国に再転住しました。

再移住後三八年ぶりに、第一回目の訪伯は最愛の弟のお墓参りと云う淋しい旅行となりましたが、今回は小生夫婦寄る年波を考慮して、昔お世話になった叔父叔母、小生の弟、そして妻の両親と三兄妹の墓参の目的で二ヶ月の旅行を行いました。
冒頭から小生自身の体験談を貴重な貴社を利用したようで、内心心苦しく思いましたが、二ヶ月滞在中は幸いにも小生の多くの従兄妹たち、妻の従兄妹たちが此の老人二人を良くもてなしてくれましたので、最高の旅行気分を味わうことが出来ました。
是から小生が見聞きした伯国観は、何処までも数多くの従兄妹たちとの対談に対しての質問、そして回答であり、其の範囲上必ずしも正解とは断言いたしかねますので、皆様御理解いただければ有難いと思います。

Leer más...
 
Viernes, 02 de Marzo de 2012
従業員留守家族慰問団来る

中食産業のデリカ社系2社

デリカ系の中食産業のグルメデリカの長野県松本工場の竹ノ内芳昭氏(団長)、菜デリカの吉田聡九州工場長ほか10名の団員が、お馴染みの平良栄次郎・拓栄デリカ社長を案内役として、ブエノスアイレス市を訪れ、去る7日(火)夜、ホテル・パナメリカーノのサロンで懇親夕食会を開いた。
はじめに平良社長による紹介、竹ノ内団長の挨拶、一人ひとりの自己紹介があり、あと、各テーブル毎に分かれて団員が同席、懇談しながら会食に移った。

Leer más...
 
<< Inicio < Prev 41 42 Próximo > Fin >>

Página 41 de 42