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久しぶりに南米研修の名桜大学学生ら来る
Viernes, 12 de Octubre de 2012

名桜大学の第16回南米コース研修の学生一行がブエノスアイレスに到着、学術交流をしているUCES(企業社会科大学)を訪問、さらに沖縄県人連合会で催された昼食会に出席した。
一行は引率の住江淳司教授と学生の関口裕一郎さん(群馬出身)、上原大樹さん(那覇)、照屋了以さん(恩納)、宮里美春さん(名護)と旅行社の担当者。
14日は、UCESで「アルゼンチンの1999年から2003年の経済危機」について、集中講座。

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沖縄角力うるま園45周年記念大会賑わう
Viernes, 05 de Octubre de 2012

76名が参加、日系も増え、愛好者が堪能. 「だんだん、〝うちなーじま〟らしく・・・」

うるま園購入45周年記念沖縄角力(うちなーじま)大会が去る9月23日、沖県連運動場のうるま園で開催されたが、来賓の屋宜宣順・沖県連会長、下条善徳さん(うるま園購入当時の運動部長で、市町村対抗陸上競技大会提唱者)、多和田真昭さんはじめ、角力愛好者が土俵を取り囲み、堪能(たんのう)した。
参加したのは、日の出道場、安田道場、志伊良道場、後仲門道場、新垣空(くう) 道場、仲村渠道場の6道場で、ちびっ子を含めて76名。志伊良道場は遠くブエノスアイレス州Chacabucoから貸切バスで駆けつけた。

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コスキンの水溜侃(すなお)さん、急逝
Viernes, 05 de Octubre de 2012

全国紙クラリン紙の9月27日号が、コスキン在の水溜侃さん急逝の訃報を写真入で取り扱っていた。「コスキンにおける民間大使で、コスキンの全国フォルクローレ祭を日本へ輸出し、(福島県)川俣市にフォルクローレ祭を誕生させ、両者の絆を強化した。近隣の人達から尊敬される市(まち)の典型的な人物だった」、と高く評価していた。
水溜さんは鹿児島県川辺郡坊津出身。玉川学園久志高在学中、兄正男さんの呼寄せで来亜している。

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鹿児島県人会の創立100周年記念式典祝賀会
Viernes, 28 de Septiembre de 2012

母県知事・議会議長、大使、使節団迎え盛大に

鹿児島県人会は、創立100周年記念式典・祝賀会を去る26日(日)11時過ぎより、沖縄県人連合会大ホールで盛大に開催した。
本来、100周年は昨年だったが、東日本大震災・津波・原発事故が発生したため自粛、1年先送りしたもの。この日は、母県から伊藤雄一郎知事、金子万寿夫・県議会議長、慶祝団をはじめ、水上正史大使、有吉勝秀公使、武田浩幸JICA所長、米須清文FANA会長、日系団体代表、会員、縁故者など多数が参加し、広いサロンを埋めた。

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我如古弥栄さんもパラリンピックに団体参加
Viernes, 21 de Septiembre de 2012

洋弓種目で、アルゼンチン2位の好成績

ロンドンにおけるオリンピックのあと、恒例のパラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)が8月29日から9月19日まで同じ場所で開催されたが、アルゼンチンからもいろんな種目の競技に参加した。我如古弥栄さんも洋弓種目団体競技の一員として参加、2位に漕ぎつける好成績を挙げた。

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「マルビーナス戦争30周年を振り返って、4月2日と6月14日を考える」(下)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    
Viernes, 17 de Agosto de 2012

歴史を裁くことは、その国とその社会がどれだけの教訓を学ぶかであり、すべてを訴訟にして白黒をつけることはできない。政治が報復の場と化すれば、間違いなく現政権も力が衰えた時には同じように追放され、後には醜い報復が待っているだけではなく、政治制度は更に弱体化し、制度的に政策運営が今以上に困難になることが予想される。
マルビーナス戦争は確かに軍政権によって決定され実行されたものだが、将校も含めて我々兵士は国民の義務としてあの任務につき、それを想像を絶する環境のなか全力で尽くしたのである。英軍が、我々の功績と忍耐、勇気と戦いぶりをたたえるぐらい、あの限られた状況の中我が軍は戦ったのである。上層部の認識の甘さや、現場での不十分な統制と命令系統の粗末さなど、不備は数えきれないほどあるが、あそこで育まれた戦友同士の連帯感と友情や、あの戦争体験に対する思いはその島でしか得られなかったのも事実である。

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「マルビーナス戦争30周年を振り返って、 4月2日と6月14日を考える」(中)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    
Viernes, 10 de Agosto de 2012

あの74日間はまぎれもなく戦争だった

このマルビーナス戦争に対して、歴史的、政治的、外交的視点については当然両国間では多くの相違点があるが、軍事的な分析については案外互いに戦場での功績を認め合っているのが大きな特徴である。
海外メディアは、あの出来事を「フォークランド紛争」として紹介するのだが、短期決戦とはいえあれはまぎれもなく戦争であったと理解すべきである。だから、今も2000人以上のイギリス兵が常時駐留しており、地対空ミサイル基地は島のあらゆるところにあり、早期警戒システム、戦闘機、フリゲート艦、原子力潜水艦等を配備している。
当時、イギリスと戦うことを我が軍も当然想定しておらず、そうした装備も訓練もしていなかったのは確かである(兵役では、仮想敵国はチリとブラジルであった)。4月2日の上陸から一週間後にサッチャー首相が、英海軍及びその機動部隊を派遣したことは想定外だったが、アメリカまでもが衛星写真等を提供したことによって、我が軍は世界最大の軍隊との戦争になってしまったのである。当初は我が国の方が有利だったのだが、制空権、制海権を失ってからは非常に困難になり、イギリス軍上陸後の戦闘は「ろう城」に近い状態が幾つもあったと言える。プエルト・アルヘンティーノが陥落したのも最終的には前線部隊を援護することもできず、武器弾薬、食糧の輸送がほとんど不可能になったからである。

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「マルビーナス戦争30周年を振り返って、 4月2日と6月14日を考える」(上)
Escrito por アルベルト松本(俊二)    
Jueves, 02 de Agosto de 2012

30年ぶりに「戦場」を訪れた
今年は、我が国が以前から領有権を主張し、30年前に実力行使で島を奪還したことで節目の記念年である。その実行支配は、激しい戦闘の後に70数日間で終わったが、当時の軍事政権の終焉をも意味したものでもあり、多くの命を引き換えに事由と民主主義が回復した。
あの出来事からかなりの時間が経過したにもかかわらずその戦争に対する評価は国内でも一筋縄にはいかず、これまでどの政権も真剣に政治的、歴史的、外交的、経済的、そして軍事的に分析を総合的かつ専門的に行ってきたとはいいがたい。一部の退役軍人やジャーナリストによる出版物はいくつか出ているが、その内容も近年はイギリスやアメリカの資料も引用しているにもかかわらず、まだその戦争に関わった当事者からの証言と資料が不十分である。当初から、帰還兵の証言にもとづいた書物はあるが、かなり自虐的かつ被害者意識のものが多く、出版社の思惑もあって職業軍人に対する痛烈な批判が目立つ。映画化されたものもあるが、ほぼすべてが「兵士 vs 将校・下士官」という構造になっており、あまりにも単純化されたもので歴史的価値は低い。

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F・バレラ日本人会が市役所へ発電機一式寄贈
Domingo, 22 de Julio de 2012

入植当時からの、深い絆・交流の一環として. ペレイラ市長も出席、親睦アサード

F・バレーラ日本人会は、発電機一式をF・バレーラ市役所へ寄贈することから、去る1日(日)13時すぎより同会会館で簡単な引渡し式を行い、そのあと、親睦アサードがあった。
Julio Pereira 市長をはじめ、A・Bagato保健局長、市長秘書、その他のスタッフ、日本人会側から具志堅ウーゴ会長、中村マルコス前会長,屋宜宣順元会長、その他30名余の参加があった。
F・バレーラは、近くに多くの日本人初期移民が蔬菜栽培のため入植したグティエレス地域があったので古い歴史をイメージさせるが、比較的新しいコロニアである。
まず、F・バレーラ市は1891年はじめに創設されたが、この地生まれの記者・文筆家のドクトル・F・バレーラの名前がつけられた。

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