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沖縄、大阪、宮崎歩き記 (2)
Escrito por つづく   
Miércoles, 28 de Marzo de 2012

「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会―」

同じ14日、琉球大学移民研究班の主催で、やはり、くもじ市民劇場ホールでフォーラム「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会― 」 が開かれた。
参加したのは、司会の前原信一(前沖縄テレビ・ディレクター)、ブラジルの深沢正雪(ニッケイ新聞編集長)、バネーサ知念(UTINA’ PRESS)、ハワイの仲嶺和男(PASIFIC PRESS),アルゼンチンから崎原朝一(らぷらた報知)。
海外における日系社会、あるいは、沖縄系社会の現状報告、そのあと、今後の沖縄、および、日本と海外日系・沖縄系社会とのつながりについて、それぞれの現地社会と世界的な広がりに絡み合わせながら討論することが狙いだった。
それぞれの国の報告に興味深かった点があり、それは次の通りである。

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沖縄、大阪、宮崎歩き記 (1)
Escrito por つづく   
Miércoles, 21 de Marzo de 2012

エセイサ空港を昨年10月9日に出発、第5回世界のウチナーンチュ大会に参加し、大阪へ寄り、宮崎まで足を伸ばしてアルゼンチンに帰ったのは10月29日だった。
以後、新聞作りの仕事に追われ通しでまとめるヒマがなく、新年特集号を出して一応肩の荷が下りたところで、行事、旅行中のいくつかの訪問先、エピソードに触れてみたい(ニュースとして発表された行事ははぶく)。

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初めての「ブルサコ祭り」に約3000人
Martes, 20 de Marzo de 2012

真昼間の盆踊り、組織化して乗り切る

ブルサコ日本人会主催の「ブルサコ祭り」が去る11日(日)10時過ぎより、同会所有の協和園で開かれた。なにしろ、治安の関係でまだ太陽が照り付ける真昼間の盆踊りである。武田宏幸JICA所長、ロンチャン警察署長夫妻、生垣彬FANA(日系団体連合会)副会長夫妻を始め、多くの観衆が会場を埋めて主催者達を安心させた。
いつもの、ゲートボール競技場に常設櫓(やぐら)が築かれて会場とはや変わり。たくさんの提灯が夏祭りらしい雰囲気を作り出し、周りにはたくさんの食べ物、日本風の土産品、飾り物を扱う売店。

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老人の伯国旅行 
Escrito por        金城郁夫   
Martes, 13 de Marzo de 2012

小生、一九五六年以来、亜国より伯国に移住し、カンピナス市郊外の軍所属の「ファゼンダ シャパドン」に借地で、トマテ栽培をして居る伯父の支援でトマテ栽培をして居り、そして同時に呼び寄せた小生弟夫婦子ども三名家族と共同でトマテ、ナスビ栽培をして居りましたが、三年後、同郷出身の伯国生まれの女性と結婚(現在の妻)、長男出生と同時にサント・アンドレス市在住の義兄のアルマセンに三ヶ年就業、六三年に亜国に再転住しました。

再移住後三八年ぶりに、第一回目の訪伯は最愛の弟のお墓参りと云う淋しい旅行となりましたが、今回は小生夫婦寄る年波を考慮して、昔お世話になった叔父叔母、小生の弟、そして妻の両親と三兄妹の墓参の目的で二ヶ月の旅行を行いました。
冒頭から小生自身の体験談を貴重な貴社を利用したようで、内心心苦しく思いましたが、二ヶ月滞在中は幸いにも小生の多くの従兄妹たち、妻の従兄妹たちが此の老人二人を良くもてなしてくれましたので、最高の旅行気分を味わうことが出来ました。
是から小生が見聞きした伯国観は、何処までも数多くの従兄妹たちとの対談に対しての質問、そして回答であり、其の範囲上必ずしも正解とは断言いたしかねますので、皆様御理解いただければ有難いと思います。

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従業員留守家族慰問団来る
Viernes, 02 de Marzo de 2012

中食産業のデリカ社系2社

デリカ系の中食産業のグルメデリカの長野県松本工場の竹ノ内芳昭氏(団長)、菜デリカの吉田聡九州工場長ほか10名の団員が、お馴染みの平良栄次郎・拓栄デリカ社長を案内役として、ブエノスアイレス市を訪れ、去る7日(火)夜、ホテル・パナメリカーノのサロンで懇親夕食会を開いた。
はじめに平良社長による紹介、竹ノ内団長の挨拶、一人ひとりの自己紹介があり、あと、各テーブル毎に分かれて団員が同席、懇談しながら会食に移った。

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「戦争とカンカラ三線」 (下)
Martes, 28 de Febrero de 2012

再び屋嘉収容所

9月になって、急に沖縄へ送還されることになった。航海は夜となれば三線の音と唄で消灯まで賑わった。それは、ハワイ収容所から持ち出したベッドの横棒製の三線だった。
戻った屋嘉収容所はもっと整備され、新しいテントが並んで有刺鉄線も二重に巡らされ、監視も厳重になっていた。そこでは本土出身兵、沖縄出身、朝鮮出身と区分され、待遇も「オキナワ」は仕事も楽な所、特別な自由が与えられていた。10名一組のテントで、砂地の上に毛布を敷いて雑魚寝だった。

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「戦争とカンカラ三線」 (上)
Escrito por つづく   
Jueves, 23 de Febrero de 2012

沖縄から、三線の専門家たちが南米にある三線の鑑定のため諸国を巡回し、アルゼンチンを訪れたことがある。沖縄の人たちと三線のつながりは強い。戦後、カンカラ三線というのがあった。幾つかのルーツ、ストーリーがあるようだが、いずれも戦争と絡んでいる。
ところが、そのカンカラ三線が初めて生まれた現場、原点に居合わせた人がアルゼンチンに現存している。野村流音楽協会亜国支部の元支部長、現相談役の栄口朝行さん(84歳)で、野村流と湛水流の師範でもある。背景には惨めな戦場の日々があった。

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FANA主催石田仁宏大使夫妻への感謝送別会
Viernes, 17 de Febrero de 2012

日系社会と親密な対話があった人柄反映
とくに「草の根資金」で後押し

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石田仁宏大使、植松聡領事がコスキン民謡祭訪問
Escrito por 大城勝発信   
Martes, 14 de Febrero de 2012

花ひらく、フクシマとの長年の交流

去る1月28日、石井仁宏大使はコスキン民謡祭への招待を受けて植松聡領事を伴い炎暑の中コールドバ空港へ定刻前に到着し、ベルタイナ名誉領事、会長代行平井ビクトル、玉城勝氏らの出迎えを受けた。
今回、大使は任期満了による帰国間際、領事は移動に伴う誠にご多忙の中のコスキン訪問となった。 昨年3月の東日本の大地震、大津波による大きな被害を受けた東北地方、とくに、コスキン・エン・ハポンが開催されている福島県川俣町も甚大な被害を受け、更に原発事故の影響などでコスキン・エン・ハポンの開催が危ぶまれていた。しかし、多大な困難を克服して開催され、優勝者の大田孝次さんが選抜されてコスキン民謡祭への出演が叶った。同氏は2年前にも出演して居り、コスキン、アルゼンチンに友人、知人、縁故者が多いので震災後の現状から適切な人選であった。

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