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若者ウチナーンチュ連合会設立
Jueves, 24 de Mayo de 2012

一世から後続世代へ、沖縄とのつながり重視.

オキナワ系の若者集会が去る19日(土)夕刻より、沖県連会館2階ホールで開かれたが、50名近くの参加があった。
これは、昨年の第五回世界のウチナーンチュ大会で、宜野湾市にある沖縄コンベンションセンターにおいて、若者ウチナーンチュ連合会(WYUA ワールド・ユース・ウチナーンチュ・アソシエーション)を発足させたこと、さらに、来る7月ブラジルで、「第一回若者ウチナーンチュ大会」が開催されることから、その説明会、つづいて出席者たちが自分と沖縄とのつながり、アイデンティティーについて手短に話す円卓会議があり、意見交換が行われた。
まず、若者ウチナーンチュ連合会アルゼンチン代表の瀬底ギジェルモさん、さらに米須パブロさんから説明があった。

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マチュ・ピチュ 観光
Miércoles, 16 de Mayo de 2012

7月06日ブエノス・アイレス発 (4泊6日)
ブエノス・アイレスから日本語のコーディネータ付き、マチュ・ピチュでは地元の日本語ガイドよりご案内が御座います。 スペイン語にご自信がない、お一人でご旅行ができない方でも安心できて旅行が楽しむことができます。
詳しくは、弊社へお問い合わせお願い致します。

Tel. ( 011) 5353-1170
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着亜60周年のチチャレンガ号同航海者
Lunes, 14 de Mayo de 2012

家族揃って、永い航海、亜国生活振り返る

1952年4月18日にブエノスアイレスの港に到着した、オランダ船チチャレンガ号の同航海者たちが去る6日(日)午後2時過ぎ、市内にある中城会館に集まり、大きな節目を祝った。マルデルプラタから駆けつけた家族もあり、60年振りの出会いとなったが、同航海者24名、二世、三世、混血も混じる家族もあわせて50名余が揃い、懐旧談に浸り、余興を楽しんだ。
まず、特製アサードや持寄りの日本料理の会食から始まった。
チチャレンガ号(1万972トン)は1952年2月4日、勝連半島にあるホワイトビーチから85名を乗せて出発、75日にわたる長い航海のあと、4月18日、ブエノスアイレスに到着している。

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台湾映画「虹の橋 セデック・バレ」を見る
Miércoles, 02 de Mayo de 2012

ブエノスアイレス国際独立系映画祭で上映。 台湾統治時代、最大規模の抗日暴動

第14回BAFICI(ブエノスアイレス国際独立系映画祭)が4月11日から2日まで催された。これは、ハリウッドの大手映画企業の傘下に属しない独立資本による自主映画を中心にしたもので、今回で14回目。映画フアンの渇望する映画祭で、市内の23の映画館で449本が上映されたが、うち、アルゼンチン国産映画も111本。35万人が入場し、昨年比で15%増だったことが示すように、すばやく手配しないと、前売りのチケットはすぐ売り切れる。
ところで、台湾映画「虹の橋 セデック・バレ」(監督 魏徳聖=ウェイ・ダーション)を見ることが出来た。駐亜中国経済文化代表部(台湾はアルゼンチンと正式な国交はないので、大使館に相当する)の招待で、以前、アルゼンチン日本人移民史編纂時代に手伝ってもらった曽さん(曽昭陽)の仲介によるものだった。

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沖縄、大阪、宮崎 歩き記 (6)
Escrito por つづく   
Miércoles, 25 de Abril de 2012

沖縄空港から妻と一緒に関西空港へ飛び、大阪市内へ電車で入り、新大阪駅近くのホテルへ泊まる。朝食の食堂へ集まった泊まり客は出張社員、工員風の人達が多かった。
御堂筋線に乗り、天王寺区域にあるお寺へ行く。昨年初頭に亡くなった義兄に線香を上げるためである。仁王像の立つ寺門が見えるだろうと見当つけていたが、それらしきものは見当たらない。たずねながら歩き回る。人家つづきの思いがけないところにあり、石段を登ると意外と大きな寺で、たくさんの参詣者。
帰途、新大阪駅近くに大丸百貨店があり、またいくつか建築中のものもある。百貨店に入ると、沖縄同様人の動きがいっぱい。ある人評して「だから日本経済は大丈夫。底力がある」と言うが、納得できない。人や金を吸い上げている巨大な装置である。
翌日、奈良に近い羽曳野に向かう。奈良に近いせいか、古墳が目立つ。沖縄、宮崎に疎開してからも親交のあった友人だが、大手術のあと快方へ向かっていた。その弟とは60年ぶりの再会。彼がホテルとの間を車で往復してくれる。
さらに翌朝、ホテルから新大阪駅へ向かう。勤め人のほとんどが濃灰色のスーツでネクタイ。沖縄のかりゆしウエアとは対照的。九州の小倉まで新幹線に乗るわけだが、新宿駅ほどではないが大勢が様々に動いていて途惑う。駅員に尋ね、標識通りに歩いて乗り場へたどり着く。

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沖縄・大阪・宮崎歩き記 (4)
Escrito por つづく   
Lunes, 16 de Abril de 2012

名桜大学訪問
名護市にあり、緑に囲まれた大学である。新垣定二・沖県連会長、比嘉アントニオ善雄・沖縄県人移民100年史編纂委員長、新里孝徳・同財務委員長、新里真一・同総務委員長、崎原朝一・同日本語編集長の一行が丑野隆史さんの案内で訪れたが、これは同大学から沖県連の移民史編纂作業への協力として、丑野さんを派遣して頂いたことへ、お礼を述べるためだった。

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沖縄・大阪・宮崎歩き記(3)
Escrito por つづく   
Sábado, 07 de Abril de 2012

「ハワイの日系人」(仲嶺和男 ハワイ パシフィック プレス)
[日本人移民] 明治政府とハワイ政府との協定で、1885年から移民が本格化し、日本人移民が禁止される1924年までに約20万人がハワイの土を踏んだ。最初の10年で半分は帰国したが、二世の誕生が増えて、太平洋戦争が勃発したころには全人口の44%、約半分を占めるまでになっていた。
現在、それは28%に低下。他の州から移り住む人が増えたほか、フィリピン人、韓国人の増加などが原因です。それでも3人に1人は日系人・日本人という状況は続き、多数民族ということになる。

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沖縄、大阪、宮崎歩き記 (2)
Escrito por つづく   
Miércoles, 28 de Marzo de 2012

「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会―」

同じ14日、琉球大学移民研究班の主催で、やはり、くもじ市民劇場ホールでフォーラム「人の移動と21世紀のグローバル社会 ―日系紙記者の見た移民社会― 」 が開かれた。
参加したのは、司会の前原信一(前沖縄テレビ・ディレクター)、ブラジルの深沢正雪(ニッケイ新聞編集長)、バネーサ知念(UTINA’ PRESS)、ハワイの仲嶺和男(PASIFIC PRESS),アルゼンチンから崎原朝一(らぷらた報知)。
海外における日系社会、あるいは、沖縄系社会の現状報告、そのあと、今後の沖縄、および、日本と海外日系・沖縄系社会とのつながりについて、それぞれの現地社会と世界的な広がりに絡み合わせながら討論することが狙いだった。
それぞれの国の報告に興味深かった点があり、それは次の通りである。

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沖縄、大阪、宮崎歩き記 (1)
Escrito por つづく   
Miércoles, 21 de Marzo de 2012

エセイサ空港を昨年10月9日に出発、第5回世界のウチナーンチュ大会に参加し、大阪へ寄り、宮崎まで足を伸ばしてアルゼンチンに帰ったのは10月29日だった。
以後、新聞作りの仕事に追われ通しでまとめるヒマがなく、新年特集号を出して一応肩の荷が下りたところで、行事、旅行中のいくつかの訪問先、エピソードに触れてみたい(ニュースとして発表された行事ははぶく)。

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