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「戦争とカンカラ三線」 (下)
Martes, 28 de Febrero de 2012

再び屋嘉収容所

9月になって、急に沖縄へ送還されることになった。航海は夜となれば三線の音と唄で消灯まで賑わった。それは、ハワイ収容所から持ち出したベッドの横棒製の三線だった。
戻った屋嘉収容所はもっと整備され、新しいテントが並んで有刺鉄線も二重に巡らされ、監視も厳重になっていた。そこでは本土出身兵、沖縄出身、朝鮮出身と区分され、待遇も「オキナワ」は仕事も楽な所、特別な自由が与えられていた。10名一組のテントで、砂地の上に毛布を敷いて雑魚寝だった。

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「戦争とカンカラ三線」 (上)
Escrito por つづく   
Jueves, 23 de Febrero de 2012

沖縄から、三線の専門家たちが南米にある三線の鑑定のため諸国を巡回し、アルゼンチンを訪れたことがある。沖縄の人たちと三線のつながりは強い。戦後、カンカラ三線というのがあった。幾つかのルーツ、ストーリーがあるようだが、いずれも戦争と絡んでいる。
ところが、そのカンカラ三線が初めて生まれた現場、原点に居合わせた人がアルゼンチンに現存している。野村流音楽協会亜国支部の元支部長、現相談役の栄口朝行さん(84歳)で、野村流と湛水流の師範でもある。背景には惨めな戦場の日々があった。

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FANA主催石田仁宏大使夫妻への感謝送別会
Viernes, 17 de Febrero de 2012

日系社会と親密な対話があった人柄反映
とくに「草の根資金」で後押し

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石田仁宏大使、植松聡領事がコスキン民謡祭訪問
Escrito por 大城勝発信   
Martes, 14 de Febrero de 2012

花ひらく、フクシマとの長年の交流

去る1月28日、石井仁宏大使はコスキン民謡祭への招待を受けて植松聡領事を伴い炎暑の中コールドバ空港へ定刻前に到着し、ベルタイナ名誉領事、会長代行平井ビクトル、玉城勝氏らの出迎えを受けた。
今回、大使は任期満了による帰国間際、領事は移動に伴う誠にご多忙の中のコスキン訪問となった。 昨年3月の東日本の大地震、大津波による大きな被害を受けた東北地方、とくに、コスキン・エン・ハポンが開催されている福島県川俣町も甚大な被害を受け、更に原発事故の影響などでコスキン・エン・ハポンの開催が危ぶまれていた。しかし、多大な困難を克服して開催され、優勝者の大田孝次さんが選抜されてコスキン民謡祭への出演が叶った。同氏は2年前にも出演して居り、コスキン、アルゼンチンに友人、知人、縁故者が多いので震災後の現状から適切な人選であった。

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沖縄、大阪、宮崎歩き記 (5)
Martes, 07 de Febrero de 2012

食べる・飲む
今回のウチナーンチュ大会は外国の沖縄系人だけでなく、県民にも参加を呼びかけたので、動きが出て、これまでにない広がりのある交流になった。
かりゆし・アバンリゾート・ナハ というホテル兼レストランで食事をした。Kという小学校の同級生とその友人2人が夫婦同伴で3年前、沖縄県人移民100周年祭の折、慶祝団に混じってアルゼンチンを訪ねてきたが、同じメンバーが集まった。
このホテル兼レストランは那覇の泊埠頭の近くにある。茶色系統の人造大理石をあしらい、どっしりした高級感がある。
私の小学生時代の泊港は漁船や薪を積んだやんばる船が入る小さな港だったが、今では、340㍍の岸壁、波の上(地名)につながる泊大橋臨港道路が架かり、離島への船の出入りするほか11万トン級の船も入れる港だ。沖にはちょうど白い大型クルーザーが停泊していた。こうなると、私には思い出のひとかけらも浮かび上がらない異国の風景である。

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AUNの高齢者向けコンピュータ講習会
Martes, 31 de Enero de 2012

ひとまず第2期終了して卒業


AUN(日系学士会)が企画してすすめていた、「コンピュータ講習会」の第2期が終わり、去る12月17日(土)夜、忘年会と終了式が市内のレストランで行なわれた。
AUNがお年寄りたちを対象にして、生活環境の向上、豊かで楽しい日常が送れるようにと考えたのが、このコンピュータ教室だった。場所として、山尾マルコス公認会計士の広い会計事務所が提供され、昨年7月から開始されたものである。
使い易いようにノートパソコンを揃えて生徒12名に、講師の方は西郷スサーナさんと助手6名もいるので、十分に目配り、気配りが出来る。一世、二世の生徒たちで、日本語、スペイン語でコンピュータの操作の初歩、メールでやり取りできるまで指導した。

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沖縄県人移民100年史編纂委員会の
Jueves, 19 de Enero de 2012

丑野隆史協力委員の帰国送別会
3年間にわたり献身的に協力、成果


もう2カ月ほど前のことになるが、沖県連の「沖縄県人移民100年史編纂委員会」のメンバーである、丑野隆史委員が帰国することになり、その送別会が9月30日(金)13時過ぎより、中城会館で行われた。
これは、移民史編纂委員会の事務所が資料、スタッフの関係でらぷらた報知社に置かれ、丑野委員と親しい交流があったため、沖県連とらぷらた報知の共催で催された。沖県連の新垣定二会長、比嘉アントニオ・善雄・編纂委員長・兼らぷらた報知社長、新里孝徳財務委員長、玉城昌一、新里真一、崎間幸久、中山正二、比嘉盛保、崎原朝一らの委員、新聞社関係者のほか、秋吉勝秀公使夫妻、植松聡領事夫妻が肩書き抜き、私的な参加があった。
丑野さんは、東京町田市の出身で、専門学科に国際交流科があった沖縄の名桜大学を選び、そこで4年学び、さらに沖縄が好きなことから、本部の私立高校で教職についていた。今回の移民史編纂に当たり、沖県連の要請にこたえて名桜大学側が、協力に賛同して推薦してくれた人が丑野さんだった。初め2ヵ年の予定だったが半年延長し、さらに半年足して合計3年残ったことになる。
初めに、新垣沖県連会長から「アルゼンチンに到着してすぐ、沖縄県人移民100周年記念式典・祝賀会間際でてんてこ舞いしている時で、早速それに狩り出される始末だった。これまでに熱心に移民史資料集め、取材に協力してきたが、それ以外沖県連のほうにも手助けしてもらったこともあったが、きめ細かい気遣いができる人だった。沖縄に帰ってから、これから公務員試験準備に入るが、就職先でアルゼンチンの経験を生かして欲しい」、と挨拶した。
つづいて、比嘉移民史編纂委員長は「感謝に堪えないいろんな働き、動きをしてくれた。現場のことはいっしょに働いた崎原から挨拶があるはず。ただ残念なのは、丑野君の滞在中移民史が完成できなったこと」、とこれまでのことを感謝した。
さらに、崎原日本語部門担当委員長より、「心から有難うと言いたい。単に働くだけでなく、自分からこうやりたいとして、自分で可能性を考え出して手をつけてくれた。協力としては、これ以上にない遣り方だった。
はじめは、沖縄県人移民について、ほとんど知識はなかったはずである。沖縄関係の資料は、途中、一度沖縄に帰ったときかなり資料を探し出して戻り、いろいろ読んで知識として蓄え、今ではかなり蓄積したことになる。

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宜野座村の南米3カ国派遣青年研修生
Miércoles, 11 de Enero de 2012

佐次田洋一、仲本章孝さんら到着
「見聞高めたい」「将来に活かしたい」


沖縄宜野座村の南米3カ国派遣研修生2名、佐次田(さしだ)洋一さん(25歳)、仲本章孝さん(23歳)が昨年大晦日に当たる12月31日に到着、交流、視察、観光をこなして去る9日、次の予定地、ペルーへ向けて出発した。
この派遣研修生ももう6回目になる。これまでほとんど女性たちだったが、今回は男性2人。屋宜宣順会長宅でホームステイした。

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マスメディアに対する日本人の変化
Jueves, 05 de Enero de 2012

今年の日本の重大項目の一つに東日本大震災がすぐに思いだされる。これは、日本人にとって、震災前と後ではかなりの変化があった。食品のセシウム問題、東京など関東の節電問題など、生活の基盤から見直さないといけない問題が出てきた。そして、いまや現代人の生活に欠かせない、テレビやインターネットといった、マスメディアにしても日本で一つの変化が起きている。

それは日本政府しかり日本民間放送連盟しかり、最近ラジオの重要性を訴えているのである。言い換えればラジオが見直されているということである。若い子にラジオを聴いてもらうために、フェスティバルなどを開催したり、キャンペーンをしている。これは、今の一般日本人の生活をみると、起きたらテレビをまずつけて、電車の移動は携帯電話でメールやゲーム、家に帰るとインターネットといった具合に、タクシーやトラックの運転手、配送業で働いている人以外あまりラジオが生活と接していない。そうしたラジオを知らない若い子やラジオ離れした人たちを呼び戻す運動のことのようだ。

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