Jueves, 02 de Julio de 2015
南米日系人全体の成果“

南米出身者初、名桜大学大学院卒業の比嘉アンドレスさん インタビュー

アルゼンチン出身で、父方・母方とも祖父母が名護市出身の県系二世の比嘉アンドレスさん(40)が3月8日、名桜大学大学院を南米出身者として初めて卒業した。その比嘉アンドレスさんが本紙のインタビューに応えてくれた。
- 沖縄へ初めて行った時の印象、感想を聞かせてください。

沖縄に初めて行った時は不思議と何のギャップも感じませんでした。Florencio Varelaのウチナーンチュのコミュニティと同じ環境でしたから。一番印象に残ったのは、沖縄の親戚が私に“お帰りなさい”という言葉で迎えてくれた事でした。他の国に行来た感じがしませんでした。 
- 名桜大学国際学群国際文化専攻に入学した時の決意についてお聞かせください。
沖縄と日本の懸け橋になりたいという思いから名桜大学へ入学しました。世界中に日系人が数多く生活しています。しかしその日系人たちと日本がよく繋がりが薄いと感じ、いろんな問題や課題を解決していこうと名桜大学国際学群国際文化専攻に入学しました。大学では、他の国の移民の歴史も研究しました。その国々の移民の歴史の良い点を我々日本移民のこれからの新たな歴史作りにちょっとでも役立てたいと考えています。
- 大学院での研究内容について。論文のテーマは?
研究テーマは「戦後の日本人移民のネットワーク」でした。
- 在学中のエピソード。大変だったこと、うれしかったことなど。
大変だったことは、最初、日本語力が足りなくてとても苦労したことです。大学のレベルでは日本語検定1級ではどうしても足りませんでした。授業によっては全然ついて行くことができないものもありました。そういう状況が2年程続き、なんども大学を辞めようと思いました。しかし、次の南米の日系人の後輩の道を開くために自分が努力をしてその壁を越えなければならないと思いました。
うれしかったことは、2年間大変な苦労しましたが大学や住んでいる地域の市町村の人たちに認められた時です。涙が出るほど嬉しかったです。異なる言語や文化を持った人々に自分の努力を認められることが本当に幸せでした。なぜなら私自信の成果だけではなく、南米の日系人全体の成果として受け止めているからです。また、日本の大学をチャレンジする後輩の道を開けることができた事も嬉しく思います。ある南米の日系人が日本の大学で成功すれば次の南米の日系人にもできるということを日本社会に示すことができました。
- 沖縄とアルゼンチンの間で、自分はどちらにアイデンティティーを強く感じますか。
アルゼンチンに住んでいた時は3つのアイデンティティーを持っていました。一つは日本人として(日系人)、二つ目は沖縄人として(ウチナーンチュ)、三つ目はアルゼンチン人としてのアイデンティティー。やはりアルゼンチンで生活していた時には、この三つのアイデンティティーにより毎日の生活に影響がありました。例えばアルゼンチン人の同僚や友達と生活すると、自分はアルゼンチン人の発想や考えで接します。日本本土の方たちと生活する時には日系人のアイデンティティーで接します。そして自分の親戚や同じ沖縄のコミュニティの方たちとは沖縄人として接しました。
- 現在はどのように生活していますか。
現在名護市国際交流会館という施設で働いています。同時にボランティア活動として、海外から来た日本移民の通訳やガイドをしています。そして南米からの留学生たちのサポートもしています。
- 今後の目標は?
今後の目標は、日本と南米の日系社会を今より強い絆で結んでいくことです。海外に住む日系人、そして、日本にすむ日本人にとっても、お互いの絆がとても大切であると感じます。日本とその世界中にある日系のコミュニティの連携を強くすることで、その世界中にある日系のコミュニティの歴史、言語、アイデンティティー、そして文化を保つことが可能になると思います。
- らぷらた報知へのメッセージ
皆さんは、長年アルゼンチンにある日系のコミュニティの情報をしっかり伝えるという大切な活動を行っています。らぷらた報知のおかげで、最初の一世の移民から現在の日系三世、四世まで、日本、アルゼンチンそして社会の出来事は伝わっています。その偉大なる活動を現在のグローバル化した時代にもつづけて欲しいと感じます。なぜなららぷらた報知はアルゼンチンの日系社会を強い絆で結んでいるからです。らぷらた報知は、アルゼンチンの日系社会のエネルギーを保っているものなのです。