Jueves, 05 de Marzo de 2015
現代に生きる伝統的なヨガの教え②

ヨガインストラクター 石塚 理奈

瞑想の本当の意味
私とは、鳥、花、山や海や空間といったあらゆる知識を生み出し、時間すらも超越し、それを支えている知識の源であり、この世界に溢れる形、存在、全ての作者である全知全能の「ブラフマン」と同一であり、ブラフマンと決して離れることはない、とヴェーダーンタでは教えられています。目には見えないけれども、私の後ろにいつも存在する知識の源ブラフマンが、私が生きるこの世界に動物や木や湖や空といった姿形となって現れた、いわば目に見える作品が生きた全体宇宙「イーシュワラ」。私、ブラフマン、イーシュワラの三つの存在は決して離れてはいなく、いわば三位一体の存在。本来の要素が愛と喜びで満ち溢れているのがブラフマン。やや気が遠くなりそうなこの事実を、私の周りに存在するイーシュワラを想うことによって、自分の中に呼び起こす行為が瞑想や祈りなのです。私こそがあらゆる存在の源であって、決してちっぽけな一人の日本人女性で、教師で、主婦で、ではなく、この世界の作者である私こそが幸せの意味であって、愛そのものなのだ、と・・・。

数年前までは私も、頭を空っぽに、無になることが瞑想であると思っていました。しかしまずは、揺れ動く考えや心配ごとでいっぱいな私の中に静かに存在する、揺るぎないものを観察し、自分を客観的に見つめることから瞑想を始めます。誰だって数分でも瞑想をすれば違う考えが浮かんでは消えて、ああ私って落ち着きがなくて瞑想には向かない、と嘆くでしょう。それは自然のことであって、考えを自然に外に行かせて、また心の中にある静けさ、そしてイーシュワラを想うことを再開すればいいのです。その全体宇宙に全てを委ねて、彼を尊敬し、「想う」行為が瞑想であって、考えを無にすることが瞑想ではないのです。最初はなかなか難しいので、好きなマントラ(真言)を繰り返し唱えたり、自分の好きな写真や神様をイメージしながら瞑想をするのもいいそうです。インドにはたくさんの神様のイメージがあります。それぞれがイーシュワラの一つの側面であって、象の姿をした商売の神様ガネーシャ、美しい富の象徴であるラクシュミー、芸術や勉学の神様サラスヴァティーなど様々。私自身、瞑想についてもまだまだ浅い経験で、目下勉強中です。

偶然は存在しない、すべては必然により起こるもの
ヴェーダーンタでは、地球をも含めたこの宇宙こそがひとつの生命であると捉えています。地球という生き物に季節を巡らし、雨を降らせ、土を肥やし、動植物を養って、と沢山の秩序と法則によって、超知的に全てが連係し合って、地球が生き続けています。私たちの想像も及ばないけれど、私の人生、パートナー、仕事、全てにとって切っても切れないもので、世界をダイナミックに動かし司る秩序、全ての出来事が起こるべくして起こる法則を、ダルマと呼びます。人生で起こる嬉しい出来事、出会う人、どんな両親のもとに生まれて来るか、全でダルマの法則によって決まっています。何かが生まれて、維持成長し、移り変わったりする原因となるのもダルマ。自分のやるべき「義務」と解釈されることもありますが、ヨガの世界ではより深い意味を持っており、一言では語り尽くせません。
よく「ラッキーなことに運命の人と出会って結婚出来た!」と言いますが、これも全てダルマの法則により決められていた必然の出来事。仕事も、与えられた財産も、一つ一つの経験も、私がこの人生で果たすべき、こなすべき役割であり課題なのです。だから、「私の天職はきっと他にあるに違いない」と思って常に仕事を探し求める必要もありません。私は目の前にある仕事、自分に出来る仕事、家事、学業、医者、それがなんであれ、それに打ち込み自分の出来る限りを尽くせばいいのです。
綺麗な蓮の花を思い浮かべてみてください。どうして花はこんな風に綺麗に咲くのでしょうか?花とは蓮とはそういう種類の生き物だから?遺伝子レベルに組み込まれているから?じゃあ遺伝子は、原子は誰が作ったの?蓮の花が勝手に一人で成長したり、移り変わったりはしません。その後ろには、支えている知識ブラフマンがあって、それを動かす秩序であるダルマの法則によって、花を咲かせているのです。
人は何をするか、行いを選択する自由意志を持っています。朝起きて何を食べるか、どんな仕事をするか、右へ行くか左へ行くか、一瞬一瞬が選択ばかりです。自由意志は私たち人間のみに与えられているとされています。植物や動物や鳥は、さて今日は何を食べようか、私はベジタリアンになるべきかどうか、など迷ったりしません。彼らは生き延びるために、必要であるとプログラムされているものを食べて繁殖して生きているのです。自由意志を持つ人間は、行いを選択するとき、ダルマの法則、つまりは全体の秩序と調和に沿った行いを選ぶことが求められています。不調和な行いとは、実は誰もが教えられなくても心の奥底で分かっていることであり、例えば小さな子供だって、人を騙したり傷つけたりすることは良くない、と分かっています。そして自分自身が傷つくことは痛みを伴い、出来れば避けたい、ということは、生まれながらに知っています。
ヨガとは、このダルマと調和する、混乱のない綺麗な考え方、生き方であると言います。発する言葉の選択も、何を誰と食べるかも、運転中急いでいるのに大渋滞に直面したときにどう対応するかも、全てがヨガの生き方、調和に沿って考え、一瞬一瞬の行動を自分なりに選択出来るようになってきます。隣にいるダンナさんもイーシュワラの現れであるので、嫌な面が見えてムカッとしても、彼も私自身の一部、同じ源であるから、それを受け入れて認めてあげたり、相手を傷つけないように言動に気をつけたり・・・。
私はこちらに移住する前に、果たして今の仕事を捨ててまでアルゼンチンに行くべきか、やめるべきか、考えました。そして先生の言葉を参考に、「移住することにより、周りの誰も傷つくことがなく、それが自然なことであれば渡航しよう」という結論に至りました。こちらに来てからも日々、自分自身がこの土地で何が出来るか、自分には何を期待されていて他の人にどんな行いで貢献出来るか、調和的な行いとは何か、を問いながら生活をしています。少しずつですが、こちらの友人と協力しながら、自分の経験を生かして、アルゼンチンの文化を日本に紹介するお仕事を始めています。自分にはそれが期待されている仕事である、と感じたのも事実です。またヨガを教えることも、少しずつ準備が整ったならば、それを求める人がいるならば、私なりに貢献出来るならば、それを開始して行くつもりです。

ヨガの修練は何も山に籠ったり、インドに修行に行かないと出来ないものではありません。日常生活で起こる出来事や出会いには全て、学ぶべき課題や教えがあり、ヨガを勉強するテーマになり得るのです。客観的に物事を見て、感情に流されず、考えを整理した先には、自分に与えられた仕事も、結婚も、子育ても全てが意味深くなり、感動と喜びで輝きはじめます。また人間のみに与えられた素晴らしい行い、「瞑想」や「祈る」ことが出来るようになると、先生は言います。
「イーシュワラ、どうか私の考えが綺麗に整理されて、あなたの美しい姿が見えますように。私がダルマに調和した行いが出来ますように」
2015年が皆様にとって、喜びと愛に満ちあふれた年でありますよう。

ヨガインストラクター 石塚理奈
日本語での個人ヨガクラス開催中。
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