Jueves, 19 de Febrero de 2015
現代に生きる伝統的なヨガの教え① 

ヨガインストラクター 石塚 理奈

■ ヨガって何?
巷に溢れる健康志向、様々なエクササイズの中で、ヨガは世界的に認知されています。インドで生まれたヨガは、欧米諸国、アジアのみならず、ここ南米はアルゼンチンでもかなりポピュラーです。そもそもヨガってどういう意味なの?身体が柔らかい人がやる難しそうなポーズ?インド人が始めた瞑想や呼吸も練習する怪しい宗教?どちらもヨガの本質のほんの一面に過ぎません。いわゆる一般的に呼ばれるヨガ、つまり体操やポーズの目的は、瞑想をする時に長く楽に座れるようにするための、いわば準備運動のようなものと位置づけられています。呼吸を整えて、全身を動かして身体のバランスを整えた後、座骨でしっかり地面に座り、背をまっすぐにし、リラックスして瞑想が出来るようになるための、前段階がポーズなのです。けれどもなぜここまでヨガのポーズの練習が世界中の人々を魅了し、星の数ほどあるヨガクラスが毎日どこかで開かれているのでしょうか。普通のストレッチや体操ではなくて、なぜヨガ?それは恐らく、身体を動かして、瞑想をした後に感じる心の安らぎだったり、続けて行くと日常生活の中でもクラスで感じた気持ちの静けさを発見したり、精神的な効果も得られるからかもしれません。月並みな解釈ですが、特に20代から40代女性の多くがヨガに励むのは、任される仕事が多くなりストレスを抱えたり、また仕事を持ちながら子供を育てたり、と環境や身体の変化の中で、自分の心と身体のバランスを見いだす手段として、ヨガを練習しているのではないかと感じます。そういう私もそのひとりでした。

■ ヨガと瞑想を追及する日々
イギリス系プロテスタントの一貫校に通っていた私は、幼少期から目に見えないものを空想し、「時間や宇宙空間っていつまで広がり続けるの?」「自分はどこから来て死んだらどうなってしまうの?」といったことを想像しては、身震いして夜眠れなくなるようなことが多々ありました。かといって霊感がある訳でもなく、ごく普通の子供でした。大学卒業後はそのまま社会に出て、東京での10年程の社会人生活の中で、バランスを崩し思い悩むとき、ふとキリストの教えを思い出すことはあっても、そこに救いを求めるということはほぼありませんでした。やがて結婚し、夫婦関係で上手く行かなくなり自分を責め続けたとき、ふと瞑想という言葉が頭に浮かび、近くで開かれている瞑想のワークショップの門を叩きました。これが私のヨガというライフスタイルへの第一歩でした。先生は「瞑想とは日々あれこれ考えて忙しい脳を休息させる、すばらしい脳のバケーションなのです」と解きながら、瞑想がヨガというライフスタイルの一部であることや、簡単な瞑想方法を教えてくれました。これがなかなか気持ちよく、次の段階は瞑想とヨガの関係性を追及したくなり、東京のヨガスタジオを周り、ポーズと瞑想を練習するうち、気付いたらあるスタジオで7ヶ月に及ぶヨガインストラクター養成講座を修了していました。ここで習った瞑想方法は、マントラ(真言)を心の中で唱えながら精神を浄化していくというもの。その修練を続けるうちに、自分の意識を超越し、「ブラフマン」と呼ばれる自分の源である宇宙の意識との繋がりを感じることが出来る、という教えでした。このブラフマンとは、日本人の信仰で例えるならば、日本民族の総氏神とされている天照大神といったところでしょうか。私たちのルーツでありながら、個人の想像や能力を頑張って駆使しても、その存在を五感を使って実際に認識することは出来ないような存在です。この瞑想方法でとてもリラックスし、こわばっていた心と身体が解放されていくのを心地よく感じました。しかしまだ何かが腑に落ちない、ブラフマンって?宇宙って何?という疑問は消えることなく、ある日、仲間からヴェーダーンタというヨガの知識体の存在を聞かされました。哲学のシステムともまた違う、自分と世界について知るための分かりやすい伝統的な教えがあって、それを学んでからは、まさに目から鱗が落ちるように、どうしてこんなことが起こるのか、納得出来なかった人生における出来事の意味が、するすると紐が解けるように分かっていったと。そこまで熱く語られた私は、自分なりに調べてみると、どうやらインドには政府公認のヴェーダーンタの学校があって(しかも全て寄付から成り立っており授業料など全て無料)、その伝統的な知識を先生から学ぶために、世界中から生徒が集まって勉強をしているとのこと。そこで長年勉強して日本に帰国した先生が京都に住んでいて、インターネットのSkypeや教室でのクラスを開催しているとか。何だかちょっと怪しいし、そこまで自分には哲学的知識もないし、と思いながらも、幼い頃から抱えてきた漠然とした不安、自分はどこから来て死んだらどうなるのか、時間と空間とは、といった疑問が、なぜか分からないけどヴェーダーンタによって解明されるような気がしてならない。思い切って先生とお話ししてみる機会を持ち、その後実際に教室でヴェーダーンタの初心者向けの聖典を勉強しました。この愛に溢れた師、スワミチェータナーナンダジとの出会いにより、本当の意味での、ヨガの探求の日々が始まったのです。

■ 人が人として生まれてくる理由
ヴェーダとは紀元前からインドに伝わる膨大な知識体であり、その前半の部分は健康、占星術、サンスクリット、祭祀などについて教えています。ヴェーダーンタとは、この壮大なヴェーダ知識体の最後の結論を説いている聖典で、自分とは何か、人生とは何か、といった真実を求める人に向けた教えが深く説かれています。インド独立運動の指導者ガンディーが人生の指針とし、常に持ち歩いていたとされる聖典『バガヴァッドギーター』もヴェーダーンタの一部です。この大事な聖典には人が根底に持つ悲しみについて、それを克服して生きていく意味について語られています。
いつの時代も、人々は「行い」により得られるゴールが教えられている前半のヴェーダに興味を示し、先生の教えにじっくり耳を傾け、「知識」が必要とされるヴェーダーンタを学ぶ人はごく少数であると言われています。私自身、友達や両親に一体何を勉強しているのかと問われたら、「私自身について勉強しているの」と答えるのは憚られ、どう簡単に説明していいものか今でも悩みます。幼少期から疑問に思っていた「私について」「時間と空間について」がただただ知りたくて、楽しんで勉強しているのですが。
この世に生を授かった人はみな、自分とは何かを知りたくて、その知識を得るまで、輪廻転生の中で何度も何度も人として生まれ変わるといわれています。人生の中で当たり前のように追い求めるお金、いい職業、素晴らしい学歴や肩書き、子供を持つ、自分は何か特別な人であると他人から評価されたい、認められたい。こうしたものを追及するのは自然なことです。しかし、いい職業に就いてお金を得た後は、今度はいいマンションが欲しい、マイアミに旅行したら次はバハマに行きたい、とか、人の欲望は絶えることはありません。更にはそれらを失う恐怖に襲われて人を傷つけたり。けれども、人生の中で考え方が成熟していくと、目に見えるモノへの探求が突然むなしく思えることがあります。この終わりなき探求に意味が見出せず、「どうやら何かを得ることでは私は幸せにはなれない」と気付づいたときに、ヨガという生き方が始まる、と先生は言います。勘違いしないで頂きたいのは、「願望を持つこと、結婚、仕事、お金といったものは全て捨てなさい」といっているのではなく、そうしたモノへの過剰な依存や期待から解放されることで、「何かを追い求める自分自身からの自由」を求める旅が始まるのです。私とは本来何にも欠いていなくて、完璧であり、何も心配する必要はないのだ、という結論。この生きた宇宙の源であり、動物、人、地球、全ての存在を支えている意識、ブラフマンの意味が実はこの私。その真実が知りたくて、動物ではなく、木でも昆虫でもなく、宿命的に人として生まれてくるのだそう。新興宗教でも哲学でもなく、先生から先生へ受け継がれてきた伝統に沿って、その真実を一つ一つの言葉によって解き明かすビジョンであり、ポーズや瞑想といった行いだけではなく、知識によって目的がかなうのがヴェーダーンタなのです。そして真実を知り遂げた人は、サムサーラと呼ばれる輪廻転生から解放されます。この理解には、伝統的な手法による先生のお話と聖典の言葉に一定期間耳を傾け、自分の中で理解していく必要があるのでここでは説明出来ませんが、ご興味を持たれた方は、先生のホームページをご覧になってみて下さい。私自身もまだまだ始めたばかり、日々の生活の中で学び続けています。(つづく)
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ヨガインストラクター 石塚理奈
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