Jueves, 24 de Julio de 2014
コスキン市名誉日本文化大使の水溜(比嘉)テレサさん急逝

7月1日夜9時、コールドバ州コスキンの比嘉テレサ 水溜侃(すなお)未亡人が急逝した。

息子の店の閉店前に普段通りに手伝い、午後8時に2階の自室に上がって行った。特に変わった事も無く母親の後姿を見送ったのが最後の別れとなった。30分後に息子が2階に上がると床に倒れているのを発見したが、既に死亡していた。

その夜11時頃からお通夜が営まれた。地元コスキンの人々は勿論の事、真夜中にもかかわらず60キロも離れたコルドバから親族、友人、知人多数が駆けつけた。 翌朝、コスキンの弔問者の中にはコスキン市長、コスキン・フェスティバール関係者、コスキン婦人協議会の方々の姿が大勢のコスキン市民と共にあった。コスキン 市からコールドバ市の日本人会墓地への移動には参列者の車が長い行列をつくり、墓地では平日にもかかわらず近年稀に見るほどの大勢の人々が会葬に参加して涙を流したが、亡夫水溜侃と共にコールドバ日本人会及び婦人部で献身的に奉仕活動を行った良き友テレサに対する盛大な最後のお別れであった。
コスキン市ではコスキンと福島県川俣町との架け橋となり、コスキン・フェスティバールの発展の為に夫婦して尽力したことから、水溜侃がコスキン市から名誉日本文化大使に任命され、夫亡き後には妻のテレサに引き継がれてその大任を立派に果たした。福島県川俣町からのコスキン訪問者からは〝コスキンのお母さん〟と親しまれて頼りにされたテレサさんだったが、その急逝は誠に惜しまれる。
告別葬儀に際しては、多くの献花の中にコスキン名誉日本文化大使として果たしたその功績に対して、コスキン市長からの花輪、水上正史日本大使の献花は時間的に届くことが出来なかったが、その旨霊前に報告された。誠心誠意40年以上に亘り、コスキンと福島・日本とアルゼンチンの架け橋となった、水溜侃とテレサを相次いで失った痛手は大いなるものだが、幸いに長男のガブリエル氏が立派に後継者としてその役目を果たしている事は心強い事である。
今後は水溜家を中心に築き上げたコスキンと福島県川俣町、日本とアルゼンチンの友好親善のこの架け橋を、関係者が協力して更に強力なものに育てていく事が、故人への供養になる。(発信 玉城勝)。