Viernes, 28 de Febrero de 2014
コールドバの幻の学校 「日本」

今では新築の校舎、多文化交流・研修をこなし. その名もESCUELA EDUCATIVO JAPON。‏

11月29日、コールドバ州立小学校 Escuela Japónの創立50周年記念式典が挙行された。
コールドバ市には「日本大通り」、「東京」、「沖縄」の街名があり、地図にも記載されてコールドバの人々に広く知られている。しかし、公立校に「日本」という校名のつく学校の存在は案外知られてなくて、コールドバの日系人社会にも幻の学校であった。

招待を受け、先輩の方に聞いて見ると、25周年の際にも日本人会に招待があり出席したとの事。当時は貧民街の一角に質素な校舎があり、小さな市立の小・中学校として存在していた。当時の日本人会の関係者も少なくなり、いつしか日系人の記憶からも薄れていった。現住所と以前の場所に違いがあるので、2年前の電話帳で調べて見ると古い住所で記載されている。半信半疑で招待状の住所へ行く。コールドバの中心街から2.5kmの市街地の大通り、繁華街の一角に堂々たる新築の校舎があり、大勢の生徒や父兄が集まっていた。玄関の垂れ幕を見ると、コールドバ州立小学校Escuela Japón の文字が大書されている。コールドバ市内の発展に伴う区画整理により貧民街が撤去され、市立の学校から州立になり、現在の場所に移転して間もないとの事である。詳細は後日受けることにして、生徒たちに混ざって中に入る。
玄関広間には、日本大使館から提供された日本のカレンダーが展示されて、日本の雰囲気がかもし出されている。ベルタイナ日本名誉領事、平井ビクトル日本人会会長と共に一 番前の席に案内される。
式典はまず亜国と日本の国旗の入場からで、全員起立して迎える。続いて亜国国歌斉唱の後、校長先生の挨拶。1963年に市立の小・中学校として創立された。当時近くに住んでいた日本人家族が奔走され、地域の人々を動かして実現されたと簡単に述べられた。式典は学校関係者だけの内輪の簡素なもので、学芸会になり、コーラス部員の日本の国歌斉唱との司会の紹介がされると、小学生の幼い子供たちが一斉に起立をした。この学校では日本と言う校名に沿う方針が引き継がれ、50年の歳月が積み重ねられた事を感じさせる一瞬であった。日本人会はお礼を兼ねて、宮里空手道場の空手と日本人会の太鼓の皆さんで演舞を披露してもらい、祝賀会を盛り上げて友好を深めた。  
これまで日系社会とあまり深い関係のない間柄ながら校名を守り、とくに市立から州立に飛躍的に発展する際に学校名の「Japón」を維持した経緯に非常に興味を覚える次第。そのことを調査しております。
(発信 玉城 勝)

このあと送られてきた資料によると、この学校の歩みは次の通り。
現在、「日本教育センター」という名前を持っている。
1963年、市立第64小学校として始まったが、区域の人たちの要請で州立校に昇格した。最初、狭くて教室数も少なく、上級生は午前、下級生は午後に分けて授業していた。
Escuela Japónという名前は、初代校長が日本領事館とひんぱんな付き合いがあったからで、それに対するお礼の形で掛図、標本、テープレコーダー、ラジオ、ビデオを贈ってくれるなど、日本文化に近づけてくれた。
1988年、創立25周年の際には、コールドバ日本人会の役員たちを招いたが、やがて、講堂や幼稚園の教室を増設、これは中学校と共有となり、小学課程は午前の授業となった。新しい校舎は1992年、Perito Moreno中学へ譲渡、同年9月、州の助成プログラムを受入れ、食堂サロンを開設した。
この時期、生徒数が激減したことから、それを食い止めることからコンピュータ、水泳、演劇を取り入れ、1998年6月、情報センター室を発足させた。
さらに新校舎建設のため、いろいろ困難な折衝を続けた結果、デラソータ知事の州政府よる「100の新校 州計画」の認可を得て、市内プエイレドン大通り2400番に、現在のCentro Educativo Japón の落成式を2001年5月16日に行った。
このあとも、機器を備えた情報室、多目的ホール、調理場・食堂を備え、全生徒に英語、コンピュータ教育を行なっているが、生徒数も増えて新しい対応に迫られている。
さらに、諸国文化交流研修実施校になるとか、外国名をつけた学校を含めた多文化交流集会にも参加している。文学、演劇、科学、体育における実験教育の導入、病気予防キャンペーン、健全な遊びプログラム、小学上級生を対象にした水泳入門計画への参加などその動きは活発だ。現在、298名の生徒が在籍している。