Viernes, 28 de Septiembre de 2012
鹿児島県人会の創立100周年記念式典祝賀会

母県知事・議会議長、大使、使節団迎え盛大に

鹿児島県人会は、創立100周年記念式典・祝賀会を去る26日(日)11時過ぎより、沖縄県人連合会大ホールで盛大に開催した。
本来、100周年は昨年だったが、東日本大震災・津波・原発事故が発生したため自粛、1年先送りしたもの。この日は、母県から伊藤雄一郎知事、金子万寿夫・県議会議長、慶祝団をはじめ、水上正史大使、有吉勝秀公使、武田浩幸JICA所長、米須清文FANA会長、日系団体代表、会員、縁故者など多数が参加し、広いサロンを埋めた。

 

記念式典
まず、田上英明・100年祭委員長の開会の挨拶。つづいて、有水ホルへ、加藤スサナさんらの司会ですすめられたが、陸軍士官学校楽隊の伴奏で日亜両国歌斉唱、東日本大震災罹災者に対する黙祷があった。
さらに、加藤リカルド県人会長から、母県からの知事、県議会議長、慶祝団、大使はじめ高官、日系団体代表,多数の会員の参加に対する感謝の言葉があった。
伊藤知事は、まず、異国の地で幾多の困難を克服し、100年という輝かしい歴史を積み重ねてきた県人の活動を讃えた。さらに、母県について、「可能性を最大限に生かした『力みなぎる・かごしま』に向け、昨年は九州新幹線鹿児島ルートの全線開業、ソウル、上海、台北を結ぶ国際航空路線が就航する鹿児島空港、国際クルーズ船が寄航するマリンポート、その他、多彩な魅力を海外に積極的にアピールしているところ」、と近況を報告した。
つづいて、水上大使は祝辞の後、「現在鹿児島県人会は組織として沖縄県人連合会に次ぎ、第二次大戦前は最も大きく、1918年の邦人登録数では793人のうち239人を占めていた。いま邦人社会の運営は一世から、二,三世へ世代交代がすすみつつあり、一方、母県との絆の維持にはそれぞれの県人会で研修、留学プログラムが非常に大切である」ことを強調した。
さらに、金子県議会議長、武田JICA所長の祝辞のほか、米須FANA会長は「鹿児島県人最初の移民がアルゼンチンに到着した時、この国は独立してまだ100年足らずだった。交通、通信、情報、医療手段にも乏しい時代、日本から最も遠い南米への何の支援もない移住の辛苦は、想像を超えるほどの偉業。そして、相互援助、交流の場として設立されたのが鹿児島県人会だった。日本人にとってよき受け皿となったアルゼンチンは、民族の坩堝(坩堝)、モザイク模様のアイデンティティーといわれる中で、日系人の文化的貢献度は高く評価されている。我々日系コミュニティーは、次の100年に向けてよき市民として、また、父母、祖父母たちのより良き老後の生活のために尽くしたい」と締めくくった。

慰霊祭
中釜一二・慰霊祭委員長の挨拶、先没者への黙祷、慰霊碑除幕、谷口信証開教使の読経、100年間に死没した会員リストの納入があり、さらに、県人会長、県知事、慰霊祭委員長、大使、100年祭委員長、県会議長、100年祭副委員長の献花がそれぞれ続いた。

元留学生・研修生挨拶
留学生と研修生を代表して、次の2名から「もう昔の話になりますが、とても貴重な体験として、一年間聴講生として鹿児島大学法学部で経済の勉強をさせて頂いた。今と違って外国人研修生寮もなく、いとこのところで4カ月お世話になり、そして、大学の近くに小さな部屋を借りるようになった。楽しみといえば、相撲を見ること。授業が終わるとすぐいとこの家に走って帰り、テレビにかじりついた。勉強のほか、いろんなところを見学させてもらった、楽しい想い出がたくさん。住んでいるところにお風呂はなく、なれない銭湯へ人の少ない朝五時とかに行きました。両親の国、日本の現実を実感すると、やはりものの見方も変わり、人生観も変わりました。この経験がなかったら今の自分はいなかったことでしょう。今振り返って、一番うれしく思うのは、その後の留学生の皆さんたちの土台になれたことです」(1973年の第一期留学生の宮園リディアさん)
「私は第一回目の県費研修生として、1991年に日本を訪問することが出来ました。夢にまで見た父や母の先祖の生れた土地に行くことが出来、心から感謝しております。叔父や叔母を訪問、一生の思い出を作ることが出来ました。
21年の間6名の学生が鹿児島県庁の皆さんのおかげで研修し、化学、バイオテクノロジー、システム工学、通信システム、日本料理などのさまざまな専門分野で知識を向上させ、適用することが出来ました。日本の技術的なリーダーシップは、もう何十年にもなり、この研修生のシステムはプロフェショナルにとって重要な役割を果たしています。また鹿児島の文化や習慣を学ぶことは、一世から学んだことの理解、自分の先祖を知ることで、とても意義あることで、毎年到着する色々な国の新しい友達を作ることが出来ました」(1991年の第一回研修生 森フェルナンド)と県知事、県議会議長、国際交流課へお礼の挨拶があった。

県知事表彰・感謝状贈呈
県知事表彰の祝詞、感謝状、記念品贈呈が80歳以上の一世高齢者、および功労者にあった。高齢者名は次の通り。
西田俊江91歳、瀬戸宏90歳、小園染子90歳、松元妙子89歳、福島アサノ89歳、城森恵美88歳、上之瀬一夫88才、竹内ヤチ86歳、酒井成子85歳、瀬脇幸義85歳、大迫静子84歳、瀬戸佐夜83歳、浜崎勇83歳、山本麻理子83歳、淵脇幸男82歳、淵脇道子82歳、松下実82歳、浜崎まり子81歳、中釜信子80歳、揚野国夫80歳、上村計吉80歳、瀬脇洋子80歳
以上、受賞者を代表して揚野、田上英明両氏から謝辞があった。さらに、伊藤知事、金子県議会議長へ記念プラーカ(銘板)が贈呈された。
さらに、貴島ハイメ・財務副委員長の音頭で乾杯,アサードの会食に移った。

芸能祭
芸能祭は日本伝統舞踊の ◎連獅子(元留学生 大坪クラウディア、元研修生 森マルセラさんら)を皮切りに、◎AUN(日系学士会)コーラス隊の合唱、◎Los de Antezana フォルクロ-レ・グループの歌 ◎Quinteto arro y Pampaグループのタンゴダンスと歌 ◎ Compaňía
Federal de danzaのフォルクローレ・ダンス ◎日本舞踊 さくらさくら(しらゆり会)◎太鼓演奏(ブエノスアイレス太鼓)◎団体踊り(太鼓伴奏)西郷どんどん、おはら節、(県人会女子青年・婦人有志)に招待者や会員も参加し、締めくくられた。
幕間を見はからって協力券の抽選も行われ、西田修・県人会副会長の閉会の辞で終了した。

記念誌・プログラム
創立100周年を記念して、これから、二世以下の世代が中心になることから、スペイン語を主にした記念誌(168ページ)とプログラム(56ページ)が発行された。内容は、地理、県のシンボルマーク、県木、県花、県鳥、生活、自然(屋久杉)、霧島温泉、桜島、産業など母県の紹介。さらに、100年間の歩み(日西両語)、写真付きで職業(食料品店、カフェ・バール・コンフィテリア、洗濯業、箒や水道配管用品製造業)、野球団(戦前)、演芸会、日本の近代がはじまる明治維新の重要人物の一人である、郷土が生んだ「西郷南洲(隆盛)百年記念追頌式」、写真付きの会員名簿(77家族)、県費留学生(1973年から2008年 20名)県費研修生(1991年から008年 6名)などの紹介がある。

100年祭の準備
実行委員会を中心に、30余の小委員会(財務、慰霊祭、翻訳、県人会沿革、記念誌編纂、販売、留学生・研修生リスタ作成、プログラム編成、その他)を設けて責任分担、4年前から活動開始した。予算として、6万5千ドル計上。
ブエノスアイレス市にある仏教会に納灰壇を購入し、百年間に亡くなった会員名簿を作成して納入を決めた。また、100年祭後、毎年慰霊祭を行う予定。