Domingo, 22 de Julio de 2012
F・バレラ日本人会が市役所へ発電機一式寄贈

入植当時からの、深い絆・交流の一環として. ペレイラ市長も出席、親睦アサード

F・バレーラ日本人会は、発電機一式をF・バレーラ市役所へ寄贈することから、去る1日(日)13時すぎより同会会館で簡単な引渡し式を行い、そのあと、親睦アサードがあった。
Julio Pereira 市長をはじめ、A・Bagato保健局長、市長秘書、その他のスタッフ、日本人会側から具志堅ウーゴ会長、中村マルコス前会長,屋宜宣順元会長、その他30名余の参加があった。
F・バレーラは、近くに多くの日本人初期移民が蔬菜栽培のため入植したグティエレス地域があったので古い歴史をイメージさせるが、比較的新しいコロニアである。
まず、F・バレーラ市は1891年はじめに創設されたが、この地生まれの記者・文筆家のドクトル・F・バレーラの名前がつけられた。

1950年から日本人移民がラ・カピージャ移住地に入植し始めたが、ここはペロン政府が造成したブエノスアイレス州農務省の移住地だった。一帯は英国人所有の牧場で、名前は、1804年に立てられた小さな教会(カピージャ)に由来している。
はじめは、イタリア政府の助成で、家屋、灌漑用水など設備完備のコロニアで、イタリア移民が入植したが環境に馴染めず引揚げていった。その後日本人が優先的に入植できるようになった。
近くに、大都市、近郊都市を控えているところから、そこへ供給する野菜栽培が義務つけられたが、のち、換金しやすい花卉栽培も認められた。入植者はそのほか、イタリア人、ポルトガル人、ポーランド人がいた。1954年に現サルミエント大通りの幹線道路が完成、それまで、雨天の時には悲惨だった野菜や花の出荷が容易になった。
1955年頃まで、日本人入植者は戦前移民、あるいは、肥沃で分割払いできた造成地を求めて、隣接するグティエレス地域から移転した人達だった。それ以後、戦後来た人達の入植が始まり、1960年前後にパラグアイからの転住者、さらにボリビアからの転住者が大勢押し寄せた。新しい入植地で肥沃であるところから切花の生産で目立ち始め、まもなく、クラベルの生産過剰にまで陥った。
そのクラベルはバレーラ市のシンボル(象徴)の一つとなり、市のEscudo(盾形紋章)に描かれている。
アサードのあと、ペレイラ市長を囲んで歓談が弾んだ。屋宜さんとは20年以上の付き合いだとか。「市と日系社会とは、日本人たちが入植してきて以来の長い付き合い」、だと語りはじめる。この区域にあるギジェルモ・ハドソン博物館は、「遥かな国・遠い昔」を書いた博物学者・作家のハドソンを記念したもので、この地域にあった”二十五本のオムブー〟牧場で幼年時代を過し、のち英国へ移った。                                                                                   その姪が日本人正式入国第一号の榛葉贇雄と結婚、さらに、津田正夫大使、藤本芳男大使の博物館維持の経済的援助、榛葉の長女ビオレッタの博物館長就任など、日本人と強く結びついている。「自分も20年以上の付き合いで、日系社会の活動を目の当たりにしてきた。花祭り、バザー、敬老会、最近のバレーラ祭りなどに顔を出し、いつでも日系社会を傍から見る立場にあった。日本人会創立75周年式典のテント貸し出し、地元企業家の開発協会を通した農業生産者の使用するナイロン、発電装置などの経済的援助、現在のアベニダ・サルミエントを舗装するとき、日系社会もその動きに付添うなど、市役所との絆は深い。入植時代から日系人には柔軟な姿勢があった。花作り、洗濯店だけでなく、プロフェショナルを輩出し、移民としての可能性を内側に持っている。規則正しい先輩たちが、よい印象を与えている。年々人口増加がすすみ、まだ発展途上にあるが、(YPFの研究所跡にできた)国立Jaureche大学、二つの大きな病院もあり、総合的に優れた活動がある」と、日系社会についても、お座なりな話を超えて具体的である。
昨年、地元日系社会は初めて「バレーラ祭り」をやり盛り上がった。公益事業に指定する市役所側の大きな協力もあったが、すでにバレーラ市の主要年中行事の中に、大きな他の伝統的なイベントと同等に繰り込まれている。
今回の発電機寄贈はそのささやかなお返しの意味合いも含まれている。こうしたことから、地域コミュニティー(共同体)との意義深い交流になっている。
この発電機は、日系人家族も少なくないVilla San LuisにあるEl Andino 地区保健センターに回されるという。そこの冷蔵庫には、ワクチン類など、つねに低温で保管する医薬品があり、停電に備えて利用することになる。
写真説明 中央の発電機囲み、右から5人目がペレイラ市長、その左は具志堅日会会長、右が屋宜元会長、左から2人目がバガト保健局長、右端は中村前会長