Jueves, 06 de Agosto de 2015
2.断食との出会い

出稼ぎ稼業も神奈川県内に落ち着いて来たころ、東京見物に出かけた、神田の本屋外で断食の本を見つけた。ラプラタ報知の記事を思い出して読んで見ようと買った。それを読み終えるともっと詳しく知りたいという気になり、36歳で断食するまで3冊集めて呼んだ。断食についての事であり内容は大同小異である。勉強といってもその程度で、一知半解的なところも多いし、うろ覚えもある。一冊は日本全国8箇所の断食同情、断食寮を訪ねて、それぞれの経営者に面接し断食についての考え方、実施方法、治った病気の例証などを聞き書きした本であり十人の人の話が混ざっているのもを想い出しながら書こうと思うのである。さらには書店の健康コーナーにあった本の内容も入ると思う。

アメーバーから始まり、人体の設計には太陽系の星の数を基本に取り入れてあるのだそうである。五臓六腑といわれるが大多数は合っている。地水火風空の要素も取り入れられるようにしなければ人間は生きてはいけない。真偽のほどは小生に判る由もないがありそうに思えると記憶している。断食のはじまりは重病にかかった人が何日も食べないでいて、後に元気になった事、宗教上の修行で僧侶が断食後にいっそう体力がついた事などから断食についての認識がはじまったらしい。犬や猫も体調の悪いときにはいかなる好物を目の前に置こうと食べないで断食をするのだそうだ。本能的に知っているのである。人間は知恵があって体が弱ってくると何か栄養の良い物を食べて体力をつけようとするが、食べたくないときには食べないのが良いとの事。断食の本を読むとどれにも万病一元という言葉が出てくる。その一元とは宿便である。宿便とは良い間に腸管壁にこびりついた食べ物の滓である。その宿便から悪性のガス、インドール、スカドール、硫化水素などなど十余種のガスが発生するとの事。それらのガスが腸管から吸収されて血管に入り全身をめぐり人体の弱い個所を攻めて病気を起こすとの事である。その他、頭痛、不眠、不安、肩こり、神経痛などの体の変調を生ずる原因になるのである。したがって病気は自家中毒症状なのである由。
中国の古書に長生を得んと欲すれば腸中を清くすべし、不死を得んと欲すれば腸中滓なかるべし、戸の記述があるとの事。古き時代から腸の汚れる事は判っていたのである。その宿便とやらを取り除く方法は今のところ断食しかなく断食をすればうす紙をはがすように取れて肛門から排泄されるのでありますとの事。
断食を行えば日常酷使している臓器に休養を与える。人体のオーバーホール(分解掃除)になる。外から栄養分が入らないと、人体は自己の病細胞、虚弱細胞から使いはじめ、脂肪、蛋白質へと生命維持の栄養源として消費し、大切な臓器は後回しにする。断食中は白血球数が増加して蓄膿病や脊椎カリエスなど膿のたまる病気が治るのだとか。毛細血管よりさらに小さいグローミー管が開いて血流が良くなる。万病の根源は宿便である。これが取り去られたら腸中がきれいになり、諸種のガス発生も微量化して血液や細胞が浄化されて健康体になれるというのである。断食本に「全身くまなくきれいな血がさらさらと流れていれば病気などしようとおもってもできないのであります」との記述があった。本当だろう。
小生には20歳のころから便意というものが生じていなかった。35、6歳のころには両頬の辺りがろう色となり、しわもできて、この顔は35、6の男の顔ではないと思っていた。花作りで腰痛がまじまり、重いときには歩いていて腰の骨と骨がこすれ合っているような痛みがあった。夜中に便所に起きるとき立ち上がると腰に卵が重なっているような感じで少しでも体をうしろへそらそうものならグシャリと砕けそうに思えた。26から27歳にかけてのころで、これでは若いのに廃人になってしまうかと思ったものだ。花作りは2年で辞めた。痛みは軽減しても腰のだるさは断食するまで続いた。前述のような事を考慮して自分には到底できないと思っていた断食も繰り返し本を読んでいると、乗りかかった船だ、一度やってみようかという気になった。本の中にたくさんの断食者の体験談があり、いろいろな病気が治癒しているのを読むと後押しされて励みにもなった。
断食前神奈川県秦野市在の日赤病院の医師に「先生、断食は体にいいんですか」と訊ねたとき、「うん、あんたは若いからええかもしれんな」と言われた。それだけで終わり。
断食は健康は体作りのために、病気にならないようにするのが良いのであるが、健康な人に断食をすすめて誰がするだろうか。時には奇人変人の類がいてやるかも知れないが、一般庶民にはめったにあり得まい。病気で弱ったひとが行えば確実にやせてしまう。宿便なる物が出なかったり血液の浄化が出来なかったらますます弱るのは必定である。
断食は体にいいといわれても、それならすぐに私もやってみましょうというわけにはいかない。人の体は食べた物で出来上がっており、。食べた物で生命が維持されているのだ。一週間も十日間も何も食べないで水だけ飲んでいるなんてとんでもない。ばかげた事だと思うのが世間の常識であろう。郷里に帰ったとき、断食で病気が治るんだと家族の前で言ったとき、即座におふくろさんから「断食で病気が治るんなら医者や病院は要らんじゃあないか」と軽く一蹴されて黙ってしまった事があった。ある人が大学病院へ断食の相談にいったら、生体のリズムを正常に保つには食事なんてものは一回たりとも抜いてはならないものだと大目玉を食らったとか。或る人は断食道場で病気が治ると保証くれますかと念を入れたそうだがそれは無理だろう、人の体内は千差万別、食べないだけでどれだけ好転するかは判らない、良かれと思って行った手術をしたがために短命に終わる人も世の中にはある。
もう一人は「断食道場では宿便宿便と言うけれども、それがあるなら医者はなぜ宿便の事を言わないのか」と聞かれて「それを言えば医者は儲からないからですよ」と答えたとの事。断食道場の経営者には医者はいないので人体解剖をしていないから困った質問であろう。医者に問うべきだ。でも断食実行者から排泄された物をみているかも知れない。小生はこれまで数多の医者の診察を受けたが宿便という言葉は聞いた事がない。知りながら故意にさけているのか、または宿便は病気ノン原因になるとは考えていないから触れないのか、断食して宿便を取り腸内をきれいにすれば病人が出なくなって医者や病院は収入が激減するので言わないのかはわからない。小生には次のような経験がある。
43歳のとき、精神不安定状態だったので埼玉医科大学病院の精神神経科を訪れた。当方より10歳ぐらいは若いだろう医者に当たった。いくら医者とは言え、精神の悩みを年少の者には話しにくかったが薬がほしいので全部話した。当方の話をカルテに書き込まれるのが終わると、「教授に診てもらいます」と呼びにいかれた。嫌な事を二度も話すことになった。診察も終わって処方箋を貰って退出する時若い方の医者に「先生、宿便というものはあるものですか」と聞くと即座にさっぱり「あります」と言われた。それでああ断食の本に書いて或る事は本当なんだと合点した。病院を出てから気がついた。腸管にこびりつくのが宿便なのですかと訊けば良かったのに。また、宿便は人の精神状態に作用するものですかと訊くべきだったのに。馬鹿の後知恵、診察室に居る時には気がつかない。
2日も3日もでないのは便秘の便であるが、若い精神科医はその事を言われたのではなかろうかと不安になった。最近大きな時点で宿便を引くと2,3日腸内に滞って出ない便とかった。これでは断食でいう宿便とは違う。
断食は両刀の剣であって悪い法も切れるが健全な臓器も切られることもある。経験豊富な指導者の下で行えとの事。当方は断食剣剣者に一人として合った事がないのでどこが良いかはわからない。本の中から大宇宙教信貴山断食道場を選んだ。奈良県にある、ひょっとしたら断食中衰弱して就寝中に死ぬかもしれないと心配があった。そのときは郷里広島へいたい搬送に近くて安上がりになると思った。大宇宙教とあったので宗教的意義を含めるのもいいと思った。断食は冬に行えば体力の消耗が少ないのだそうである。会社の契約が2月に終わったので時期はちょうど良かった。近鉄信貴山(しぎさん)駅からケーブルカーに乗って山に登り駅からやや歩いた狭い山間にきれいな二棟の二階建てのアパートのような道場があった。十日間の断食を申し込んで一日三千円二十間の滞在費六万円を払った。買い食いする事のないように現金は預けておけとの事であった。そのとおりにした。
断食にはいる前の五日間は一日一日原色して断食初日にゼロになるようにする。断食開始から十日間は水だけを飲んでいた。水は毎日2リットルが目標だが冬に冷たい水はなかなか飲めるものではない。雪も降っていて山間の溝から流れる水をタンクに引いて貯めたのをいえの中に排水してあるので雪解け水を飲む事になった。どれかの本に水は生の真水を飲めとあった。一度沸かした水では金魚を飼えば死ぬるし、鉢植えの草花は育たないとの事である。やかんの水を備え付けの小さな電気ストーブに近づけて暖めるようにしたが効き目は殆どない。
十日間水だけ飲んで体重は5キロ減った。体が弱った感じはなかった。気が変になる事もなかった。心身とも廿楽に過ごせた。二回の部屋から毎日一回の礼拝室への行き来も平気であった。毎日道場の礼拝に出た。男女15、6人位集まって、祝詞を2回繰り返し、般若心経を3回復唱した。道場主が毎日2,3行ずつお経の意味を講釈された。熱心に聴いたほうではなかった。礼拝終了後は各自の部屋に帰り、別の僧侶の健康講話を聞いた。これは拡声器を通して行われた。
トランジスターラジオを持っていたので、京都、大阪の放送局の番組でいいのを選んでたびたびダイヤルを廻して退屈しなかった。時々食べ物の事が頭に浮かんだ。あの駅の立ち食いうどんはうまかった。あの店の煮込みはとてもうまかったと思い出された。これは食べる事をわすれらせないために本能が働いたのだと思った。断食中不思議だったのは何も食べないのにガスが良く出た事だった。食べ物が腸内不消化で発酵して発生するのがガスだと思っていたのに、それだけではないのだ。悪臭が合ったか否かは記憶にない。毎朝の各部屋巡回の時に道場主にもその事を話すと「ガスが溜まったらプッと出してください」との事、それだけ。(つづく)